政談272

【荻生徂徠『政談』】272

(承前) このような道理であるから、人を知る道は人を使うということにある。決して上の人が自分の思うままに使っても、それで下の人に才智が生じるものではない。昔の歴史を見るに、元来立派だった人が状況が変わって悪くなってしまった例がある。逆に、何の才智もないような人が、使われ方によって才智が現れるという例は多くある。大将たる人の職分はここに尽きる。近ごろ、甲州の板垣信形が「誰も見よ」の歌のために戦死に追い込まれたのもこの類である。


[語釈]●板垣信形(信方) ?-1548 戦国時代の武将。甲斐(かい)武田氏の親族衆で重臣。武田晴信(はるのぶ=信玄)の傅役(もりやく)となり,信玄の父信虎の追放に貢献。甘利虎泰とともに両職として信玄を補佐し,信濃諏訪(すわ)の郡代をつとめた。天文17年2月14日村上義清(よしきよ)との信濃上田原の戦いで討ち死にした。討ち死にする羽目になったのは、信玄が子の信里に与えた「誰も見よ満つればやがて欠くる月の十六夜の空や人の世の中」という和歌について、これは信玄が自分(板垣信形)の僭越ぶりを戒めたものと解し、決してそのような気持ちはないと誠実ぶりを証明するために村上との戦いで奮闘したからで、無念にも戦死してしまった。人の心を知れば誤解して自分の運命を悪くすることも回避できると徂徠は考えている。


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