政談269

【荻生徂徠『政談』】269

(承前) 右に述べた、下の人が申し上げることが理筋は通っているものの足りない点がある場合、それには構わず、理筋の通った所を十分に褒め、後日、「先日、そなたが申した所はもっともである。ただ、この点に少し差し支えがある。ここはどうしたらよいだろうか。このようにしてはどうか」と時間を置いて言ってみる。このようにすれば、理筋に叶った点はなおも褒めているのだから、下の人が委縮することもない。この時、半ば持ち上げ、半ば押さえてしまうと、下の人の気持ちとしては、上の人の気持ちにそぐわないと思ってしまい、二度と物を申し上げようという気にはならなくなってしまう。また、押さえられた点がとても自分には無理と思っても、そういうことも言わなくなる。こうなると、半ばは褒めたにもかかわらず、下の人としては注意された点ばかり気になり、委縮してしまう。これではすべて押さえてしまったのと同じである。このようなことを『孟子』では「五十歩百歩の違い」と言っている。


[語釈]●『孟子』「五十歩百歩の違い」 梁恵王上篇にある。ある日、梁(りょう)の国の恵王(けいおう)に対して孟子が言うには、「戦闘に於いて、五十歩逃げた兵士が百歩逃げた兵士を臆病者と笑いそしったが、逃げたという点では全く同じ。五十や百の違いなど問題にならない」と。これは例えで、なにかというと利ばかり求め、利によって政治をしようとする恵王に対し、王たる者は仁を基本とすべきで、利を大切とするようでは、他の俗物の王たちとなんら変わらないということを直言した。孟子は雄弁で、例えを使ってわかりやすく説明した。孔子は仁を説き、孟子は義を説いたが、孟子は孔子の教えを受け継いでおり、仁が政治の根本であるとした点は孔子と全く同じ。余談だが、孟子は孔子の没後およそ百年経ってから生まれた。このため、孔子とは直接面識がないし、教えも受けていない。このように、直接会うことが出来ない先人を尊敬し、書物などでその教えや思想を学び、人柄を慕うことを私淑(ししゅく)という。私淑とは「我、私(ひそか)にこれを淑(よ)くす」という言葉で、私はその人に直接会えなかったが、心の中でその人を慕っている、という意味。ところが、漢文が教養の常識ではなくなった戦後、急速に誤用が広まり、尊敬する人物に個人的に付き合いがあり、その人の私宅にまでお邪魔する関係であるといった意味で使っている人が、プロの作家、著述家にも広がっている。「私淑」で検索すると、その誤用のひどさがすぐにわかるほど。とても親しく面倒を見てもらったりお付き合いさせていただいているという意味の言葉は親炙(しんしゃ)と言う。この言葉は難しく、日常的に使われないため、私淑で代用するようになったようだが、故事成語に由来する言葉は使い方も正しくありたいものである。


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