政談267

【荻生徂徠『政談』】267

(承前) 総じて細かな事に才智を働かせるのは各分掌の担当者がすることで、大臣の務めではない。大臣の職は『大学』の「平天下」の章に引いている秦誓(しんせい)の言葉に「他の技なく、その心休々焉(きゅうきゅうえん)として容(い)るることある」のを大臣としている。これは他愛もなく大人しい人を尊ぶのではない。人を使う道をよく会得し、才智ある人を見出だすのを大臣の職分とするため、人の言うことを筋道を立てて理解することをこのように表現したものである。他の技なしとは、人を見出だすことにかけて得意で、他の才智はないということ。されば大臣たる人は、自分の才智を出して下の人と言い争いをするのは、以ての外の悪いことである。


[語釈]●休々焉 楽しんで安らかな状態。 ●秦誓 『書経』の「周書」の一篇。秦の穆公(ぼくこう)は軍隊を率いて鄭(てい)を討った。(BC628頃)晉(しん)襄公(じょうこう)は軍隊を率いて鄭を救い、秦の軍隊を崤(こう)山で敗った。敗北した秦の軍隊は、やがて晉に許されて帰還。秦の穆公は敗北から立ち上がるため、『秦誓』(秦の誓い、と呼ばれる文)を作らせた。『民がことごとくしたがってくれるならば、国家の利益は多い』という格言をまず引き、戦いに負けたのはお前たちの責任だ、そう人を責めることは簡単だが、私が負けの原因だった。自分が責任を受けとめて、水が流れるがように自分を変えていく、これはむずかしいことだ、と自省した上で、国家の状態は、一人の人間に由る、国家の繁栄はこのような一人の人間の努力によるのだとし、今まで目立たなかった者も含めて、一人ひとりの得意とする所を認め、伸ばし、それを活かして組織を建て直し、来たる日に備えたい、という宣言。徂徠の主張と軌を一にしている。上の者が一方的に決め、下の人たちに押し付け、従わせるのではなく、良い案、良い知恵があれば遠慮なく申し上げることができるようにする。国や組織、万民のことを思う心においては上も下もなく、対等である。この対等ということは英邁な将軍吉宗でもにわかに受け入れることはできなかった。人間、生きている時代を超えた思考や行動をすることはとても難しい。自分では先進的で時代に縛られない考えをしているつもりでも、根底のところでは時代の価値観、因習にとらわれていることがよくある。自分で自分を時から解放するのは実に難しい。が、それでも進歩のためには少しでも超越できるよう、さまざまなことを知り、自分を大きくすること。これしかない。

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