1940年7月7日
1940年7月7日 昭和15年
【内 閣】
総理 米内光政/外務 有田八郎/内務 児玉秀雄/大蔵 桜内幸雄/陸軍 畑俊六/海軍 吉田善吾/司法 木村尚達/文部 松浦鎮次郎/農林 島田俊雄/商工 藤原銀次郎/逓信 勝正憲/鉄道 松野鶴平/拓務 小磯国昭/厚生 吉田茂/内閣書記官長 石渡荘太郎/法制局長官 広瀬久忠
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 木戸幸一/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 原嘉道/枢密院副議長 鈴木貫太郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 山田乙三
[海 軍]
海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭
【植民地高官】
朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介
【東京】
府知事 岡田周造/市長 大久保留次郎
「奢侈品等製造販売制限規則」(7.7禁令)施行。東京各所に「日本人ならぜいたくはできないはずだ」の立て看板が登場。
奢侈品等製造販売制限規則(昭和15年商工省・農林省令第2号)とは1940年7月6日に発布、翌7月7日より施行された、当時の商工省(現:経済産業省)及び農林省(現:農林水産省)が国家総動員法を根拠に発した、不急不用品・奢侈贅沢品・規格外品等の製造・加工・販売を禁止する省令。一般には施行日をとって七・七禁令(しちしちきんれい)とも呼ばれた。日中戦争の長期化によって、日本国内では各種物資が不足してきていた。一方で戦争は好景気をもたらし、軍需成金が多数生まれ、こうした人々を中心にいわゆる高級品の売れ行きも好調であった。このような状況を背景に、高まっていた庶民の反感をなだめるとともに、華美な装飾品を規制することによって銃後の引き締めを図る狙いがあった。
一律に対象になった品目
宝石製品
象牙製品
銀製品
一定価格以上のものが対象になった品目
オーダーメイドスーツ - 夏物100円以上、冬物130円以上
ワイシャツ - 10円以上
腕時計 - 50円以上
靴 - 35円以上
カメラ - 500円以上
シャープペンシル - 3円以上
苺・メロン - 100匁あたり2円以上
皇紀2600年を祝う紀元二千六百年奉祝美術展の開催に当たり、美術家が作成する美術工芸品に関しては免除されることが1940年8月に決定された。
自由美術家協会、美術創作家協会と改称。1946年、元の名称に復す。
東京交通労組解散。7.9 大阪市電従業員組合解散。10日 大阪交通労組解散。
藤田嗣治ら、フランスより帰国。
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