1940年6月28日
1940年6月28日 昭和15年
【内 閣】
総理 米内光政/外務 有田八郎/内務 児玉秀雄/大蔵 桜内幸雄/陸軍 畑俊六/海軍 吉田善吾/司法 木村尚達/文部 松浦鎮次郎/農林 島田俊雄/商工 藤原銀次郎/逓信 勝正憲/鉄道 松野鶴平/拓務 小磯国昭/厚生 吉田茂/内閣書記官長 石渡荘太郎/法制局長官 広瀬久忠
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 木戸幸一/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 原嘉道/枢密院副議長 鈴木貫太郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 山田乙三
[海 軍]
海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭
【植民地高官】
朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介
【東京】
府知事 岡田周造/市長 大久保留次郎
アメリカで外人登録法(スミス法)成立。外国人の登録義務と共産主義者の取り締まりを行なう。
1940年6月アメリカ合衆国で制定された外国人登録法。第二次世界大戦勃発後の険悪な国際情勢の下に、世論の保守化の風潮をも反映して、おもに国内の破壊工作活動の防止、取締りの強化を目的とした治安立法として実現した。外国人の入国および国外追放に関する規定はいっそう厳格となり、アメリカに滞在するすべての外国人に対して、強制的に指紋をとることが認められ、国内において武力や暴力による政府の転覆、破壊を唱導したり教示することは違法とされ、さらにそうした破壊工作活動を意図したグループを組織したり、それに加わることも禁じられた。これは第二次大戦後、アメリカ共産党の幹部の逮捕など、その活動を弾圧するために利用された。
イギリス、ド・ゴール仏将軍の自由フランス委員会を承認。ド・ゴール将軍、抵抗運動を組織し始める。
サブリ(Hasan Sabri Pasha)エジプト内閣、中立を宣言。
ソ連・フィンランド通商条約・支払い協定調印。
ルーマニアはソ連の要求受入を発表。ベッサラビアと北ブゴビナをソ連に移譲。
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