政談256

【荻生徂徠『政談』】256

(承前) ただ上にあるか下にあるかの違いだけで、器量ある人が上にあれば「人あり」と言い、下にあれば「人なし」と言う。なぜ器量ある人が下の地位にいるか。これはそもそも、上の者に良い人を選ぼうという気持ちがないからである。人を選びはするものの、選び方が悪ければ、それは人を選ぶ気がないのと同じことである。選び方が悪いとは、最前にも述べたように、上の者が好みで人を選ぶと、大変優れた智恵ある人でも自分と性格や考え方が合わないという理由で採用せず、ただ自分と気の合う人ばかりを用いるため、何人採用しようとも、上の者の分身ばかりで、どれだけ採用しても一人と変わらない。これを「人なし」と言う。

 更に、またさまざまな悪弊があり、良い人は邪魔になって下に隠れて目立たなくなる。使えばさらに良くなる人もこれでは悪くなる一方で、ますます人はいなくなる。さまざまな悪弊というのは、後進の人に自分の地位を飛び越えさせないこと。これが第一の悪弊である。今のご政道はあまりにも下の人に対する抑えが強く、まるで子どものお守をするように下の人が悪事をせぬようにし、仕事は一々指図をして、何事も上へ伺いを立てるようにさせるばかりで、このために下の人が智恵を出す必要がない。ただ子どもを使うように下の人を使う。これは上たる人の心の驕り高ぶりより出たもので、下を虫けらのごとく思い、何事も何事も上たる人の考えで済ませてしまう。


[解説]今、残業代は無用とし、時間内に仕上げられないのは労働者の責任であると言ってはばからない元閣僚で昔でいう口入屋稼業を手広くやっている商人がいる。できなければ賃金カットだというのはあまりに短絡的で、そもそも仕事そのものに無理がないのか、効率よくできるよう使用者側が充分尽くしているのか。そういったこともよく検証、検討しなければならないのに、使用者側の責任・義務については全く触れず、労働者のことばかり悪しざまに言う。これこそ徂徠が言うように、労働者を「虫けらのごとく」(原文のママ)見下している者である。一経営者がそういう考え、方針でやるのは勝手だ。しかし、現政権はこのような者を重用し、法律の改正まで強行しようとしている。労働者を虐待すれば、困るのは使用者側である。労働者は無限にいると思っているのだろう。ずいぶん舐められたものだ。


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