政談254

【荻生徂徠『政談』】254

(承前) 人の気質はさまざまだから才智もまたさまざまで、そのために得手・不得手があり、その品性もまたさまざまである。あまりにも人さまざま違いがあることから、すべての人々に合致する才などない以上、少々の過不足や至らない点があることは致し方ない。少々の落ち度を恐れて大きな功が立てられないのは、罪はないとはいえなんの手柄もない。功がないのに、なぜ益があろうか。大きな事に功があれば、少々の落ち度は少々であり、気にすることはない。人の上に立つ者はこのようでありたい。

 また、何か事が起きた時は、総じて少々の害は捨てないことには大きな功は立てにくいものである。たとえば、風邪を引いた人を療治するには、汗を出させて風邪を追い払う。汗は人の体を流れる大切な津液(しんえき)だが、津液そのままにして風邪だけ取ろうとするのは、医道においては採らない方法である。消化不良や血の滞りも同じ。これらを治すにも津液と一緒に下すものだが、津液はそのままにして消化不良や血の滞りを治そうとしてもそれはできない。一切のことはすべて同じ。大きな功のためには小さな過失を許さないことには叶わない。聖人の語はこのようにさまざまな道理が備わり、今日の出来事に対処する上でも大切である。それなのに「小さな過失を咎めるのは仁心がない」などと『論語』の講釈をするために、意味が深く功用が広大であることが分からないのも、これもまた末世となった学問の弊害である。


[語釈]●津液 人体を流れる液の総称。


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