政談251

【荻生徂徠『政談』】251

(承前) 下の人たちの行為が上の者の考えに少しも違わなければ、それが良いことでなくても上の者の望みには叶うことだろう。しかし、およそ人たる者の生まれついての器量・才智は人それぞれ別であり、まったく同じ人というのは天地の間に存在しない。「人心の同じからざる事、面の如し」という古語があるとおり。されば、上の者の気持ちにまったく違わず、よく上の心を理解し、上の分身のような人がいても、その人は自身の器量・才智を出さず、無理に自分を枉げて上に合わせる。これを阿諛諂佞(あゆてんねい)といい、その最たるものである。このような人は踏み込んだことはせず、忠義の心はまったくない。むしろ大悪人といえる。


[語釈]●「人心の同じからざる事、面の如し」 『春秋左氏伝』襄公(じょうこう)三十一年に見える子産(しさん)の言葉。子産(、? - 紀元前522年)は、春秋時代の鄭(てい)に仕えた政治家。姓は姫(き)、氏は国、諱は僑、字は子産。「公孫僑」とも呼ばれる。祖父は鄭の穆公、父は子国(公子発)、子は国参(子思)。弱小国の鄭を安定させる善政を行い、中国史上初の成文法を定めたとされる。


[解説]首相の言うことを副総理以下閣僚たち、さらには幹事長以下党執行部らが雷同する。人はみな性格も価値観も違うのだから、政策についてもそれぞれ一家言あるはず。しかし、いずれの者も一言も意見や疑問を挟まず、「問題ない」「御心のままに」と従う。徂徠はこういう者たちのことを「忠義の心はまったくなく、大悪人である」と喝破する。上たる者も完全無欠ではないのだから、必ず気が付く者がいるはず。それを指摘したり正したりすることこそがより完全なものとなり、国家国民のためになる。しかし、そういうことはまったくせず、逆に上の者に気に入られようとそのことにのみ憂き身をやつし、世間常識から外れる言動を上の者がしても、組織内ではそれを許し、下の者たちも一緒になってやる。法も慣例も無視。自分たちこそが法であり、常識であり、規範であるという態度。これを諫める者が組織内にいないのは危機的である。


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