政談249
【荻生徂徠『政談』】249
(承前) その身の位が高い人は、下々とは雲泥万里の隔たりがあるゆえ、人情に疎く、下情が分からない。常に接触する相手は常に高位・富裕な人たちである。高位の人は高位の世界での振る舞いをし、物を言うことから、自分もその人たちと心安くなり、良く見える。下々の人は高位の人と交わらないために、立ち居振る舞いががさつである。また、高位でなければ上の人の性格や好みも分からない。そんな中で、身分が隔たっている下の人が急に呼び出されて物を言うため、委縮し、事の仔細を詳しく話すこともできない。さらに、襟元を見て貧賤な人を悪く見るのは、もともとは女や子ども、或いは身分が軽い者に多くあることで、これを「襟元を見る」と言う。上たる人には元来、こういった感情はないものだが、世も末となるにつれて、家筋が固定し、上下が完全に分かた世となったために、高位・富裕な人を立派な人と思い、身分低く貧賤な人を虫けらのように思う気持ちは、上の人でさえ持つようになってしまった。上の人でも免れることのできない人情である。さらにまた、臣たる人には出世を好む利欲の心は人情として免れられず、誰も彼も上の機嫌に合わせ、上の心を惹きつけようとそればかり考える。どれほどの名将でも、下の者が機嫌を取ろうと狙っているため、名将の好みや癖を知り、巧みにそれを利用するため、どれほど優れた名将でもだまされてしまう。これもまた人情として免れ難いことである。
[解説]身分や地位が高くなると、周囲の人や交際範囲も高い人ばかりとなるため、下の人たちのことがわからなくなる。それではいけないとして、下の人たちとも付き合いを続けようとすると、周囲の者たちが「あのような下賤な者など相手にするな」「下々の言うことを聞いていてはキリがない」さらには「我らとは世界(人種)が違う」といった差別意識のある言葉まで言ってくるため、次第に下の人たちとは疎遠となり、いつしか下の人たちを卑しい者と見てしまうようになる。歴代の首相でも付き合いを狭くすると視野も狭くなる危険性をわかっていた人などはつとめてそのようなことがないよう、政治家や官僚、地元の人だけでなく、来る者は拒まずの姿勢で誰とでも喜んで会ったり、休日や時間のある時はお忍びではないもののフラリと街中に出て一庶民として庶民と交わり、声を聴いたりした。その一方、気心の知れた政財界のお歴々や地元の首長や有権者としか会わず、会食やゴルフも“仲間”のみ。そして、批判的な市民に対しては「あんな人たち」呼ばわりをする。徂徠はこのような政治家が出るとは夢にも思っていなかっただろうし、もしこのような人がいたら、という仮定の話をしているに過ぎないとしても、現実に出たとなると、側近や友人らが忠告、諫言すべきだが、その者たちが同類ときては、もはや「余人を以て代えがたい」と絶賛された当人を高度な力で代えるしかないが、高度な力が働く制度がなく(弾劾制度)、選挙で民意によって動かすのが筋だが、いくら選挙を繰り返してもまったく結果が変わらない。明らかに世の中が硬直している。それだけに、本書がますます重要になってくるのだが。
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