1940年6月17日

1940年6月17日 昭和15年

【内 閣】

総理 米内光政/外務 有田八郎/内務 児玉秀雄/大蔵 桜内幸雄/陸軍 畑俊六/海軍 吉田善吾/司法 木村尚達/文部 松浦鎮次郎/農林 島田俊雄/商工 藤原銀次郎/逓信 勝正憲/鉄道 松野鶴平/拓務 小磯国昭/厚生 吉田茂/内閣書記官長 石渡荘太郎/法制局長官 広瀬久忠

【元 老】

西園寺公望

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 近衛文麿/枢密院副議長 原嘉道

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 山田乙三

[海 軍]

海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭

【植民地高官】

朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介

【東京】

府知事 岡田周造/市長 大久保留次郎


ペタン仏首相、ドイツに休戦を申し入れる。

日本銀行、大蔵省からニッケル貨の回収を指令される。軍需転用。

百貨店における国債売出しが開始される。

第二次大戦で、連合国のフランスからの撤退作戦「エアリアル作戦」が開始(地図は1940年6月13日から6月25日までのナチス・ドイツのフランス侵攻の様子)。


ダンケルクでのダイナモ作戦によりイギリス海外派遣軍の戦闘部隊の多くはフランスから撤退することができたが、イギリス第1装甲師団とビューマン師団の戦闘部隊のいくつかと150,000名以上の後方支援及び有線通信部隊の将兵はドイツ軍の「海岸部への急進撃」によりフランス西部に取り残されてしまった。さらに加えて、第52(ローランド)歩兵師団及びカナダ第1歩兵師団がフランス西部の守備を強化するために急派されていた。これらの軍は第2イギリス海外派遣軍とされて、イギリスからもどったアラン・ブルック陸軍大将により指揮されることとなった。彼が6月13日に着任した時、直ちに「ブルターニュ半島へ退却し、半島に立て籠ってドイツ軍の進攻に抵抗する」というフランス側の計画に成功の見込みが無く、非現実的なものと認識した。このため、アラン・ブルックは6月14日の夕方にイギリス首相ウィンストン・チャーチルに電話し、フランスにいる全イギリス軍将兵の撤退を要求し、これを説得することができた。シェルブールからの第52(ローランド)歩兵師団の撤退はポーツマス管区司令長官ウィリアム=ミルボーン・ジェームス海軍大将の指揮により行なわれた。彼は、大型の兵員及び貨物輸送船はサウサンプトンで管制させ、沿岸用の小型船はプール(Poole)から、平底帆船(Dutch schuyt)はウェイマス(Weymouth)から輸送任務にあたらせた。第52(ローランド)歩兵師団の大部分と第1戦車師団は6月15 – 17 日に乗船し、臨時編成のノルマン部隊(Norman Force)は6月17日夕方に出発した。ドイツ第1軍が街の郊外に進入したときには既に撤退の船舶が出航してしまっていた。シェルブールからポーツマスへは30,360名が撤退した。サン・マロからは大部分がカナダ第1歩兵師団の21,474名が6月17及び18日に脱出した。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。