政談240
【荻生徂徠『政談』】240
(承前) これは主君における賞罰の権というもので、あながち善人を残らず賞し、悪人を残らず罰することではない。一人を賞すれば千万人が喜び、一人を罰すれば千万人が恐れ、これにより世間は生き返り、人々の励みとなり、世の風俗も上の御心のままに直る。優れて賢才の人と、極めて悪い人は別として、その他の人々は誰も彼も同じようなもので、ただ上に立つ人の誘い方によって風儀が変わり、それによって人々が良くも悪くもなる。これは人を活かして使うのと殺して使うほどの差がある。
近年は太平が長く続いて世の中が平穏無事であることから、世上のならわしが一定して家筋というものが固定し、上だけでなく中・下の位まで大方の昇進の在り方も決まっているため、人々の心に努力というものがなくなり、出世するよりも失敗をして家が取り潰されることがないようにという気持ちが勝り、何事もほどほどにやって世渡りすればいいという心からとても横着な人ばかりになった。このような気持ちにさせてしまうことを、人を殺して使うという。同じ人を使うにも、活かすと殺すとでは大変な違いがある。
[解説]5代綱吉は信賞必罰、賞罰厳明政治を徹底したことから、幕臣も大名も委縮して、決められたことをそつなくこなせばそれでいい、変に目立ったり自分の意見を主張して睨まれては損だ、という意識が急速に広まった。綱吉はもともとは学者肌で、筋道を立てたことをよく理解したが、性格的には誰の話や意見もよく聞くというタイプではなく、論語などの講義を頻繁に行ったように、自分の考えを一方的に聞かせ、従わせることが好きだった。気心の知れた身近な人には心許し、特に母や、後世「怪僧」と称された隆光らの言うことにはほとんど無批判で聞いた。将軍ににらまれるよりも気に入られるほうが立身栄達できるとなれば、心の中での思いはともかく、うわべで将軍に取り入り、イエスマンでいるほうが良い。こんな意識が広まったことも、生類憐憫令といった極端な法令を許してしまうことになった。徂徠は綱吉を近くで見て来ただけに、綱吉のやり方やその当時の雰囲気もよくわかっている。本書を贈られた吉宗もまた綱吉時代に紀州藩主となり、参勤で幕府の御用を務める身となって綱吉に接してきたことから、上が威光を笠に着て権力を振りかざして従わせるやり方は委縮させるだけで進歩も発展もないことがわかっていた。このため、吉宗は抜擢をしたり、目安箱で庶民の生の声を聴くという破天荒なことを始めたほど。幕臣や大名を江戸に集め、その上でどう使うか。ただ幕府の強大さを知らしめて恐怖させるか、それともこのような幕府のもとで仕事がしたいと意欲的になるか。政治家よりもむしろ現代では経営者らがよく考えるべきことだろう。
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