政談235
【荻生徂徠『政談』】235
(承前) 太平の世が長く続くと、立派な人は下から出て、上の人は愚かになってゆく。これはどうしてかというと、総じて人の才智はさまざまの難儀困窮から生じるもので、人の体は使えばたくましくなり、強くなるもので、手を使えば腕が強くなり、足を使えば足が強くなる。弓・鉄炮などで狙いを凝視すれば目が強くなる。心を使えば心に才智が生じる。さまざまな難儀困窮に遭えば、いろいろ揉まれて才智がたくましくなる。これは自然の道理である。ゆえに孟子にも「天より大任をこの人に下すべしと思召す時は、先ずさまざまの難儀をする」とある。ことに下で揉まれてできた才智であるから、下の事によく通暁し、国を治めることにもっとも向いている。ゆえに聖人の道にも「賢才を挙げよ」とあり、下の者を取り立てるべきことを述べている。また歴史を見るに、賢才の人はみな下より出ており、高官の人には稀であることがはっきりしている。
[語釈]●孟子 告子(こくし)下にある。天は大任を負わせるにふさわしい人に対し、まずその人の志が容易には遂げないようにし、体を疲れさせ、暮らしもままならぬようにさせる。そうさせることで思索をめぐらし、欲を出さず、才智が豊かになる、ということ。 ●「賢才を挙げよ」 論語子路(しろ)第十三にある。弟子の仲弓(ちゅうきゅう)が魯(ろ)の大夫季氏(きし)の執事として取り立てられた。早速、孔子に政治の要諦について尋ねた。孔子が言うには、「それぞれの担当の役人を盛り立て、小さな過失は大目に見ること。なによりも賢才を挙用することだ」と。仲弓は更に「賢才を挙用すると申しましても、もれなくそのような人物を見いだすことは難しいのではないでしょうか」と尋ねると、孔子は「お前の知っている人物を挙用すればよい。さすれば、お前の知らない賢才は他の人が教えてくれようぞ」と言った。孔子はそれぞれの弟子、あるいは王侯貴族その他の人たちの性格に合わせて説明するため、特に政治や仁についてはいろんな説明をしている。どれが定義なのか判断しかねるほど。しかし、どれも正しく、自分にとって理解しやすい説明を定義、答えとすればよいし、論語はそのように味わうもの。道徳を教科とし、評価するというが、これが答えだ、と一つにすることは聖人でも困難なのだから、ましてや凡俗が教育で決めてしまうというのは、道徳の意義に悖ると言わざるを得ない。時の政権が賢才を挙用するのにどれだけ熱心か、あるいは全く関心がなく自分の気に入った仲間、一族郎党に限るかは、閣僚を見ればわかる。
[孟子肖像]
0コメント