政談233
【荻生徂徠『政談』】233
(承前) 右のような道理であることから、古の堯・舜・禹・湯・文・武の子孫も今は絶えて跡形もない。日本でも昔の頼朝・尊氏の子孫も今はない。その他、名のある家も皆消えてしまい、今の大名は皆、祖先が軽い身分の者で、軍功によって上の地位に上る。しかも、今は実子が家を継ぐ正統な大名は稀なものとなっている。しかるに、上は上、下は下と家柄を定め、愚かにも新規に召し抱えようとする時に、問題のある上にある大身の家は消え失せるべきなのに、なおもその家を召し抱えるために、天地の道理に背き、才智ある人が上にいなくなり、ついには世も末となって乱世になり、下の者から才智ある人が出て、ついには御代を覆すことになる。
聖人はこの道理を熟知し、御代が長く続くために賞罰の法を確立し、下の者でも才智ある者は抜擢し、上の者で実子がない者と、悪事を行って滅亡させるべき者とは、天心に委ねて滅ぼさせた。このようにすれば、賢者は常に上にあり、愚者はいつも下に置くことから、天地の道理に叶い、御代が続くことも長久である。この兼ね合いを知らないと、天地人の全体の道理に通達せず、天心に叶わない。これは真の政治ではないと知るべき。
[語釈]●日本でも昔の頼朝・尊氏の子孫も今はない 足利尊氏の子孫は喜連川(きつれがわ)氏として江戸時代にも存在したが、大名ではないため、徂徠は現状のままの子孫はいないという意味でこう述べた。 ●正統な大名 徳川の世では嫡男が家を相続するのが原則であり、しかし、実際には弟や養子が継ぐ例が多く、徂徠はそういった相続は正統なものではないとした。
[解説]原文「下たるものの才智あるを立身をさせ取り立て」は徂徠が本書で最も言いたかったこと。しきりに「制度を確立させるべき」と言うのも、この人材登用およびこれと対をなす不適格者の免職、処分を可能とし、門地門閥主義ではない、人物本位の人事こそが政治をよくする基本であるからである。一度政治家や高級官僚を出した家は、子や孫、一族も同じ身分や地位につけたいと思うものだし、本人もまた子や孫を後継者にしたいと願うのが人情である。しかし、政治は家業ではない。それに相応しい者が就いてこそ私利私欲にとらわれない正しい政治が行われる。政治家や官僚が家による世襲となると、その家は新たな貴族と化す。こうなると利に与ろうとする者たちが寄ってくる。これをはねのけて民のため尽くすというのは容易なことではない。民の顔や暮らしというのはなかなか見えないが、家や仕事場まで来る者たちは身近に感じるもの。いろいろ頼まれたり強力な支持を約束されると、これを払いのけるのはますます難しくなる。結局、自分のためになる身近な者たちの政治をするようになり、民については、要求や批判ばかりして自分の苦労を全く理解しようとしない者たちとして憎むようになる。一度そういう感情が芽生えると、困っている人を救済することに意義を見いださなくなるばかりか、「困っているフリをしている」「働きもせず援助ばかり求めるとんでもない連中」と映るようになる。そうならないように、積極的に民と交わったり、民情把握のために下僚らを使って視察すべきであり、これは義務といえるが、そういうことさえ馬鹿馬鹿しくなる。徂徠は、世襲による貴族化および情の喪失といった害悪を防ぐため、有能な人物は身分や家柄に関係なくどんどん抜擢し、無能な者、悪事をした者は高官の家の者でも「亡」(ほろぼ)すべきだ、と断じる。これが聖人の道に叶うことである、とまで言い切る。この発言によりのちに本書を知った幕府は危機感を持ち、徂徠の死後、本書は禁書となり、徂徠学派は危険なものとされた。寛政異学の禁における「異学」の真の対象は徂徠学派であるとされている。徂徠の没後、弟子たちは分裂し、直接の徂徠学派というものは消滅したが、錚々たる弟子たちがそれぞれ活躍し、学問上の系譜としては途絶えることがなかったが、徂徠の主張は政治に直接活かされることはなく、弟子の中から政治家として活躍する人もなかった。異端のレッテルを貼られると、なかなかそれを払拭することができない。
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