政談229
【荻生徂徠『政談』】229
(承前) 京都の百日目付というのは、いったい何の目付であるのか。寺々の縁起や宝物(ほうもつ)を見て歩くのを役目としている。これは、京都という所は公家の在所で長袖ばかりの所であるため、一々目くじらを立てて悪事を見つけ出そうとすれば却って治めの妨げとなることから、知恵のある老中が考案し、今に至るまで続いている。しかし、何事もただ形ばかりとなり、いったい何の目的でこの役があるのかということを知らなければ、どんな事が起きるかわからない。
伏見・奈良・山田等の遠国(おんごく)奉行にも、配下に頭・助・丞・目を置きたいものである。
[語釈]●遠国奉行 江戸幕府の役職の一つ。江戸以外の幕府直轄領(天領)のうち重要な場所に置かれ、その土地の政務をとりあつかった。役方に分類される。遠国奉行首座は長崎奉行。老中の支配下で、芙蓉間詰(ふようのまづめ)諸大夫役。役高は1,000石から2,000石と任地により異なり、役料が支給されることもあった。伏見奉行のみ大名から、他は旗本から任ぜられた。長崎奉行→町奉行、あるいは長崎奉行→勘定奉行→大目付ないしは江戸留守居が出世コース。しかし、長崎奉行に任ぜられた者は誘惑が多いのか不正を働く者が続き、処罰されるケースも複数ある。
[解説]京都の百日目付という職はなく、正しくは大坂目付。老中配下で大坂の監察に当たった。いわば出張の形で初期は約4か月、のち半年から1年で交代する臨時の兼職。大坂入りする前に十日ほど京都に滞在した。大坂には大坂城代があり、大坂町奉行(東町・西町)があって、これらが監察業務を行っていたから、大坂目付は必要のない職。しかし、一度定められた職はなかなか廃止することができず、これといった役付き経験のない者に経歴を少しでも豊かにさせてやるために名誉職のような形で就かせた。徂徠も形骸化して何のためにあるのかと厳しく批判している。それよりも、遠国奉行の下の組織の充実を図ることが必要であるとする。大坂城代は大名が任ぜられ、西国の監視もする重要な職。西国は武を専らとする外様が多く、豊臣に味方した大名も多いことから、監視には力を入れた。この懸念が現実のものとなったことは、幕末の歴史が示すとおり。
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