政談218
【荻生徂徠『政談』】218
●諸役人器量の選び別なる事
諸役にそれぞれ専門があり、その役に従事する人の器量が合う人を選ぶべきである。老中などは政務の元締めであるから、国政の全体に精通し、えこひいきなく、人の良さを引き出して自身はおとなしい性格でなければ、その職には相応しくない。老中は遠大な智恵があればよく、些細な事はできなくても構わない。若年寄は遠大な智恵は少なくとも、才智を充分働かせること。両役ともに人を知り、人を見出すことを職分の第一とすべし。
[解説]主要大臣である老中、国務(特命担当)大臣である若年寄それぞれの人物について。老中は政務全般を総覧する立場であり、大局的に物事を見、的確な判断を下す。若年寄は、幕府創設の頃は漠然とした職掌で、逆に老中と張り合うこともあったが、旗本以下の分掌をそれぞれ管轄し、その方面の専門的な知識が要るようになり、老中より下の立場となって落ち着いた。どちらも世の中を実際に治める重要な立場だから、視野が広く、当然のことながら特定の者に「えこひいき」(これは原文のママ)せず、部下たちの良さを引き出して仕事がしやすい環境づくりをし、あれこれうるさく干渉したり怒鳴ったり嫌味を言って嫌われるようなことがないように常に我が身を律する、そういう人でなければならない。公方様におかせられては、よろしくこういう人物を登用すべきである、ということ。これは正論であり、必要なこと。しかし、当時は家格によって最終的に就ける職が決まっており、老中は大名、若年寄は小大名という鉄則があり、その枠内で老中なら井伊・水野・土井・酒井といった家が優先されるように、代々老中を拝命する家というのが不文律で決まっていた。徂徠はそういう家格ではなく、人物本位で登用することを求めている。これは大名たちにとっては聞き捨てならぬことであり、歴代将軍も家康公とともに戦い、幕府の礎を築いた名家を無視することはできない。抜擢できないことはないが、抜擢をすればひいきであり、恨みを買って混乱のもととなる。5代綱吉は柳沢吉保を大抜擢し、吉保は政治を壟断するまでになった。ただ、吉保は政治家としては有能であったから(毀誉褒貶いろいろあるにしろ)、幕府を崩壊させることはなかった。将軍は絶対的だから抜擢もあるにしろ、選ばれた側の老中以下はひいきをしてはならないということ。政治家の汚職の殆どは便宜や利権といった「えこひいき」であり、時には法律さえも特定の人や組織に都合のいいものを法案として出し、強行採決で通させる。こういうことは300年前の徂徠でもお見通しであり、紀元前に書かれた経書(けいしょ)や史書・思想書類にもさんざん指摘されていることである。政治の政は正。正しいことを公正無私に行って世の中を治める、平定するのが政治。疑惑隠し、強行採決、傲岸不遜な態度によって世の中を混乱させるのは政治ではない。
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