政談217

【荻生徂徠『政談』】217

(承前) 家康公は生涯にわたり学問をされる暇もなかったが、聖人の道に合致する言動が多かったのはまことに不思議で、後世の手本とすべきである。

 小役人や目付などは意地が悪く、民が憎む悪事をすることもある。また、遠国の役人などは少し悪賢い者を組み合わせるのも人を使う一つの方法であるが、重職の役人については、民が憎むことを好み、民が好むことを憎むといった態度を『大学』でも深く戒めているように、民の好むことを好み、民の憎むことを憎むのが民の父母たる存在で、このような者を登用するのが聖人の奥義である。


[解説]『大学』の「伝十章」を踏まえたもので、江戸時代は朱子学が幕府により推奨されたこともあり(異学の禁はあくまで儒官に対してのもので、武士や町人が個人的に学問をすることについては規制していない)、『大学』『中庸』『論語』『孟子』の四書(ししょ。この四書を略して学庸論孟ともいう)が学問の入門書として尊ばれた。『大学』にあるこの戒めも共通の認識となっており、特に為政者、役人にとっては心得として必須のものだった。民が何を暮らしの支えとし、楽しみとし、励みとしているか、何に対して嫌ったり憎んでいるか、そういった民心をよく理解し、自分も民の常識・良識に沿って政治をすべきことを説く。今は政治家が「痛み」を前面に掲げ、国民もこれに耐えればいずれ開けるといったことを当然のように言うが、民の嫌う痛みを最大限回避させ、またそのようなものが生じないようにするのが政治。自分の失政を棚に上げて、「現状はこうなのだから仕方がない」と正当化した上で、国民が等しく痛みを共有する、これは国民としての義務だ、といったような誤ったことを吹聴する。そのように喧伝して、実際に善処するように努力すればまだしも、不満や批判があると前政権の責任として今の政権も被害者といった態度をとり、何もしない、何もできない言い訳としている。これで免責されると思っているのだろう。そのような態度を国民は許してはならない。

『大学』(注釈書の一つ『大学章句』南宋の朱熹撰)


四書(道春点本)


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