政談216

【荻生徂徠『政談』】216

(承前) されば、聖人の知慮でさえ上からは下が見えないのだから、聖人の定めた法では、大臣を任用するには百官に問い、庶民に聞き、卜筮(ぼくぜい)に尋ねるとある。重職の役人を採用するには、諸役人に問い、その上で民に聞き、なおも宗廟の神霊に尋ねて定めるということ。人事はともすればお上の意向に沿うようにし、下に対しては合わせる心がない。その上、万民の見る所は覆い隠すことができないため、上へは知れ難く、下へはよく知れる事であるから、聖賢の法は右のように定めているのである。


[語釈]●卜筮 うらない。 ●宗廟 祖先の霊を祀る所。霊廟。みたまや。


[解説]大臣や官僚の高官の任用に当たっては、すべての役人、更には庶民にも聞き、祖先の霊にも聞いてから採用すべきで、常にお上の意向ばかり気にして部下や庶民のことなど眼中にない者は採用しない。これが昔の聖賢と崇められた為政者たちの方法であり、言葉であるとする。老中や奉行職を命じるにあたり、庶民にまで候補者についての思いや評判を聞くというのは今の選挙制度に通じるもので、当時としてはおよそ考えられず、あり得ないこと。その職・立場にふさわしい者を任用すべしという徂徠の意見は将軍吉宗でも受け入れることはできず、大名や旗本らにとっては、家格によって拝命する地位や職掌が決まっているのに、人物本位となると下手すれば失職、無役になりかねない。驚愕の制度である。このために『政談』はのちに禁書となり、徂徠も危険な思想の持ち主と言われて嫌われるようになった。しかし、一方ではこの考えに賛同する人もおり、ひそかに本書が筆写されて出回ったほど。複写機のない当時の人たちは書物をすべて書き写すことは当然の行為で苦にならなかった。おどろくべき短期間で写し終えている。


過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。