政談215

【荻生徂徠『政談』】215

(承前) 言葉遣い・態度を慎むことは、自分を重々しく見せて外見を取り繕うように不学の人は思うようだが、これもまたそうではない。職分が重ければ言動も重々しくなるのは当然である。そのような人を重んじ敬うこともまた自然の道理である。人々が重んじ敬う人を上に据えて指示させたなら、部下たちもよくその人に従う。これもまた自然の道理である。このため、古より役職が重ければ言葉や態度を慎むのはよくあることで、外見を取り繕うこととはまったく違う。言葉や態度が粗暴で、部下に対して無礼な振る舞いをする人は、部下の才智を育てる気持ちがないだけでなく、部下がこういう人に心服しないため、政務は滞り、公方様のお考えも下へ行き渡らないようになる。

 東照宮(家康公)の時、重職の役人を任命するにあたっては、必ず部下たちの評判を聞き、部下たちがその人のもとで務めることができると評価する人を必ず任命したと聞いている。古人が言うには、部下たちが希望する人を重職に就けた場合、部下たちはよく指示命令に従うものである、と。もっともなことである。それだけではない。これは重い神慮であると考える。というのは、総じて人の善悪(よしあし)は上からは見えにくいものである。誰彼によらず、人々が上の気持ちを承けて上に合わせ、上の気持ちに取り入ろうとすることは人情の常であるからで、その人の本心は隠れて見えにくく、たとえ英明な主君でも、上からの立場では人の善悪は見えないのは、理の当然である。悪賢い人だと巧妙な手を使い、上の心に直接合わせることはまるで軽薄なようであり、わざとらしさが上に分かりやすいことから、わざと合わせないような素振りを見せて、実は上の気持ち通りにするというやり方をする。これも度を越えた極め付きの姦人である。驩兜(かんとう)の悪巧みが見えにくいのを堯(ぎょう)帝が深く憂慮したのもこの類である。


[語釈]●驩兜 中国古代の帝堯(ていぎょう。帝王である堯、という意味で呼称化されている)の臣。上辺はうやうやしいが、常に悪人と親しくしていた。帝舜(ていしゅん)に代替わりしてから崇山(すうざん)に追放された。堯・舜ともに聖天子とされているが、実在は確認されていない。しかし、古来より政治家の手本として深く人々の崇敬の対象とされてきた。


[解説]位が人を作るというように、重責を担う立場に就くと、言動が重々しくなる。しかし、中には見せかけで装い、内面は邪な者もいる。この見極めが人材登用の上で重要であるということ。また、採用にあたっては人々(部下)たちが心から畏重し服する人であることが大事で、上の意向だけで上の気に入っている者を重職に据えると、部下たちは心服せず、仕事が疎かになる。仕事をしない者はクビだと脅したり辞めさせて他の者を採用しても、そういう人材登用をしている限りはうまくゆかない。


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