政談214

【荻生徂徠『政談』】214

(承前) 元禄の頃まではどの執政もみな嗜みがあり、言葉・態度とも見事であったが、正徳の頃よりこの気風が衰え、今は威厳のある人がいないと承知している。このようになったのは、学問修養のない人は理詰めで迂遠なことを嫌い、近道ですぐに結果を出そうとし、才智があって頭が切れる人はその才智で人を負かそうとするために、顔つきも言葉遣いも慎みがなく荒々しくなる。しかし、執政というのは、自分の才智を働かさず、部下の者の才智を取り上げることで部下を育て、御用に役立つ者を多く出すようにすることが務めの第一である。自分の才智を活かすのは各部署の監督者で、執政の職分ではない。どれほど執政が自分の才智を働かせたとしても、部下の才智を取り上げないのでは、とても執政の才智で満足がゆく結果が得られるものではない。にもかかわらず自分の才智だけで政務を行おうとするのは、執政として職分違いも甚だしく、結局は不忠であることが分からない。これは、学問修養をしないための過ちである。


[解説]大臣たる者は全体を総覧、統括するとともに、部下を育て、上手に使うことが務めである。たとえ知識が豊かでも、自分が一番偉い、すべて自分の意のままにするという態度では、それぞれ専門の担当者の活躍する場がなく、いい人材が育たない。そればかりか、自分が偉いという意識は容貌や態度にも出る。日々、暴言を吐き、記者に向かって悪態をついている閣僚(首相経験者)が見事にそれを体現している。この段で重要なのは「学」。たとえ学歴が立派でも、自分で心からいろいろ学ぼう、知ろう、思索を深めようという自己研鑚・修養の心がなければ、学問は死に学問となる。逆に、世間で言ういい学校を出なかった人が社会人となって発憤、刻苦勉励し、人の言うことをよく聞く人はひとかどの人物となる。行政は組織でするもの。縦の序列はあっても、上の者が威張るだけでは組織としてまとまらないし、部下たちは上の者の顔色ばかり窺うようになり、規則違反でも上の者が喜ぶならと手を染める。これも現代の省庁が実例・好例となっている。それを大臣や首相が何とも思わないのは異常である。


過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。