政談213
【荻生徂徠『政談』】213
●重き役人の挙用の事
重職にある執政は言葉・態度を慎み、下に向かって無理を言わず、無礼な態度を取らないことが第一である。これは古の聖人賢者たちが共に深く戒めている。いい加減に受け取ってはならぬ。俗な了見では、頭さえよければ、言葉や態度はどうでもよいと思っているようだが、そうではない。執政は他の役職の者とは違い、古の大臣の職に当たる。『詩経』に「赫赫(かくかく)たる師尹(しいん)、民ともに爾(なんじ)をみる」とあるのを『大学』にも引いているほどで、聖賢に近づく道としてとても重いことなのである。執政の者は重い職分だから、その人の言動を常に万民が注意して見ており、一言一事すべて世間であれこれ評判し、遠国にまで伝わり知られ、天下に隠れなきほどである。されば、よくよく役目を重く受け止め、上の御為という気持ちを常に持って言葉や態度に気を付け、何事も慎みを持たなければ、とても務まるものではない。
[語釈]●執政 江戸時代では老中を指す。また、諸藩の家老。将軍が幕府の頂点にいるが、実際の政治は老中が責任をもって執り行った。今の主要大臣にあたる。国務大臣は若年寄。 ●「赫赫たる師尹……」 『詩経』小雅の節南山(せつなんざん)の「南山」の詩。意味は、権力を振るう堂々たる大臣の尹氏を民はみな仰ぎ見る。このあと、「民は委縮し、恐れをなして冗談も言えず、あなた(尹大臣)のせいで国は衰退し、滅びようとしているのに、どうしてあなたはそれに気づかず、反省しようとなされないのか」、と続く。
[解説]いよい『政談』の核心部分、そして徂徠が最も訴えたい政治家像について話が展開される。冒頭のこの段、現在の政権与党を見ると、説明の必要がないほど徂徠の諫言、忠告がそのままあてはまる。それだけ現在は危機的で憂えるべき状態である。大臣はとても重い職務であり、万民が一挙手一投足に注目し、言動は他国にまで知れ渡るのだから、言動には細心の注意を払う必要がある。いくら頭がよくても、オレこそが政治家に向いているのだ、国民は黙って従えばよいのだ、と横柄な態度では誰も心服しない。頭がよい者でさえ悪態はマイナスなのだから、この上頭も悪いとなれば、もはや誰も従わない。そこで、権力者はなんとか服従させようとしてあれこれと統制するものだが、こうなると物を言うことさえできない閉塞した世の中となり、その国は栄えるどころか滅亡あるのみ。これは徂徠個人の思いではなく、古来より人々が読み継いで修養の糧とした書物に等しく書かれている万古不易の真理。政治家たらんと欲する者なら、まず心得ておくべきことであるが、古来より人にうるさく、自分に甘い政治家ほど国民を管理したがり、その治世は決まって道徳を強制し、望ましい臣下・国民像を示して従わせようとする。立派な政治家は寛容の精神と、法は厳格で特に官公吏に対する処罰を厳しくして、万民の信頼に務めた。これが「信なくば立たず」である。政治家がウソいつわりを吐き続け、暴言に対して批判されると「誤解があれば撤回する」という態度で全く誠意がない。これでは信用・信頼されようがない。記者の問いに対して斜に構え、口をとがらしていちいち嫌味を言う大臣がいるが、記者の後ろには国民の目や耳があることがわかっていない。つまり、この大臣の視野はとても狭くなっているということ。毒舌を喜ぶ向きがあるが、それも時と場合によるのであり、大臣に対するまじめな質問には誠意をもって答える責務がある。これは国会も同じ。今はテレビ中継で議場の外にいる我々も閣僚や議員たちの言動をつぶさに見ることができるが、そういうことも意に介さず、野次を飛ばすのは序の口。いかにもやる気のなさそうな心ここにあらずの表情、居眠り、特定の野党議員が質問に立つと後ろから終始にらみつける与党女性議員。更には、中立の立場でなければならないのに与党に露骨に肩を持ち、野党の理事たちが委員長席に詰め寄って議事の停止を求めても速記を止めさせず、故意に質問者の持ち時間を奪う与党の委員長まで、なりふり構わぬ悪態ぶりが現政権では連日展開されている。まさしく亡国の姿ではないか。
0コメント