1932年5月15日
1932年5月15日 昭和7年
五・一五事件
反乱事件。武装した大日本帝国海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。5月15日は日曜日で、犬養首相は終日官邸にいた。第一組9人は、海軍中尉三上卓以下5人を表門組、海軍中尉山岸宏以下4人を裏門組として2台の車に分乗して首相官邸に向かい、午後5時27分ごろ官邸に侵入、警備の警察官を銃撃し重傷を負わせた(1名が5月26日に死亡する)。三上は食堂で犬養首相を発見すると、ただちに拳銃を犬養首相に向け引き金を引いたが、たまたま弾が入っていなかったため発射されず、犬養首相に制止された。そして犬養毅自らに応接室に案内され、そこで犬養首相の考えやこれからの日本の在り方などを聞かされようとしていた。その後、裏から突入した黒岩隊が応接室を探し当てて黒岩が犬養首相の腹部を銃撃、次いで三上が頭部を銃撃し、犬養首相に重傷を負わせた。襲撃者らはすぐに去った。それでも犬養首相はしばらく息があり、すぐに駆け付けた女中のテルに「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と強い口調で語ったと言うが、次第に衰弱し、深夜になって死亡した。首相官邸以外にも、内大臣官邸、立憲政友会本部、警視庁、変電所、三菱銀行などが襲撃されたが、被害は軽微であった。事件の前日にはイギリスの喜劇俳優のチャールズ・チャップリンが来日し、事件当日に犬養首相と面会する予定であった。また「日本に退廃文化を流した元凶」として、首謀者の間でチャップリンの暗殺も画策されていた。しかしチャップリンが当日、思いつきで相撲観戦に出掛けた為難を逃れた。
首相官邸襲撃隊
三上卓 - 海軍中尉で「妙高」乗組。反乱罪で有罪(禁錮15年)。昭和13年に出所後、右翼活動家となり、三無事件に関与
山岸宏 - 海軍中尉。禁固10年
村山格之 - 海軍少尉。禁固10年
黒岩勇 - 予備役海軍少尉。反乱罪で有罪(禁錮13年)
野村三郎 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
後藤映範 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
篠原市之助 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
石関栄 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
八木春男 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
内大臣官邸襲撃隊
古賀清志 - 海軍中尉。反乱罪で有罪(禁錮15年)
坂元兼一 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
菅勤 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
西川武敏 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
池松武志 - 元陸軍士官学校本科生。禁固4年
立憲政友会本部襲撃隊
中村義雄 - 海軍中尉。禁固10年
中島忠秋 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
金清豊 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
吉原政巳 - 陸軍士官学校本科生。禁固4年
民間人
橘孝三郎 - 「愛郷塾」主宰。刑法犯(爆発物取締罰則違反,殺人及殺人未遂)で有罪(無期懲役)。昭和15年に出所
大川周明 - 反乱罪で有罪(禁錮5年)
本間憲一郎 - 「柴山塾」主宰。禁固4年
頭山秀三 - 玄洋社社員。頭山満の三男
反乱予備罪
伊東亀城 - 海軍少尉。禁固2年、執行猶予5年
大庭春雄 - 海軍少尉。禁固2年、執行猶予5年
林正義 - 海軍中尉。禁固2年、執行猶予5年
塚野道雄 - 海軍大尉。 禁固1年、執行猶予2年
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