政談206
【荻生徂徠『政談』】206
(承前) 武備の部門については、平生から我が役目として司る人がなければ、いずれの人も「我こそは武家である」と口では言っても、仕事ぶりは思いやられることである。政務の内容を理解して司る人がないため、その仕事一つ一つを常に専一に心がけることがなく、ただ鼻の先で仕事が多いのを自慢して、せわしげに走り回ることが務めであるというのが、今の風潮である。
学問や技芸については、これは政務とは関係がない。急用な事がないために、その方面の人が何か申し上げたい事があっても、老中・若年寄らが忙しそうにしていると、なかなか申し上げにくいものである。たまに何か申し上げようとしても、多くは蹴散らかして取り上げない。この結果、学問や技芸は専門の役人がないために、日々衰退しているのが現状である。
[解説]「我こそは武士である、サムライである」と自称する人は昔から多いが、戦乱の世ならまだしも、泰平の世には実戦がなく、そのために備えに対する気概も失せる。ヤルキのある者は道場に通って鍛錬するものの、いくら腕を磨いてもそれを実際に活かす場はいつ来るか全くわからず、気持ちを常に保ち続けるほうが至難の業。そもそも、江戸市中では刀をサヤから抜くことすら禁止されており(自宅で磨くなどするのは別)、剣術も自分を鍛えるのが中心とあっては、武備、軍略を専門に司る役人も部署もなく、たまに兵学者から講義を受ける程度。兵学者もまた戦争世代ではなく、文献による知識の受け売りだから、どこまで役に立つか怪しい。言うことだけは勇ましく、危機感を煽るのは今の御用評論家らと同じ。こういった現状を徂徠は憂えている。
学問や技芸も尊重はするものの、政務に直接関係ないとして役所に常設の部署を置かない。幕府には湯島の学問所があり、大学頭(だいがくのかみ)は今の文部科学大臣と東大総長を兼ねるほどの権威とされるものの、評定所の一員でもなければ幕閣で発言をするわけでもない。技芸方面は大名らがそれぞれ召し抱えたり後ろ盾となって個人的に保護するが、幕府常設の部署はない。たまに名のある作者が頼み事をしようにも、老中以下「忙しい」を理由に取り合わない。
0コメント