政談189
【荻生徂徠『政談』】189
(承前) さて、十二階の概要だが、宰相は勲一等、以下、中将勲二等、少将勲三等、侍従勲四等、四品(しほん)勲五等、諸大夫勲六等、布衣(ほい)の役人勲七等と当てておき、勲八等から十二等までは無官の階級とする。もとより官位と勲等は別であるから、勲一等を仰せつけられる人は、宰相にならない場合でも宰相と同格とする。勲二等を仰せつけられて中将にならない人も中将と同格。以下も同じ。また、大老職や老中職は重い職であるから、大老職は官位は中将・少将で、勲階は勲一等ないし勲二等。老中は官位は侍従で、勲階は勲三等となるようにする場合は、大名を支配するのに、自分より高位高官の大名に対して将軍の権威に頼らずとも、勲階により遠慮なく命令することができる。これは得策である。
[語釈]●宰相 今は首相など政治上のリーダーのことを指すが、もともとこの名は中国の唐時代の職名で、日本における参議のこと。太政官制における大納言・中納言に次ぐ官で、国家の政治に関する議事に参与することから参議という。今の次官に相当。国会が開設されて二院制を採用した際、上院にあたる議院を参議院と名付けたために、参議の意味がますます混乱することとなった。江戸時代では武家においては加賀の前田家の当主および御三家(尾張・紀伊・水戸)の嫡子のみ任ぜられた。 ●中将 明治以降は軍人の階級名となったが、もともとは近衛府中将という官。これも次官に相当。武家では、高松・会津(以上、松平)、井伊・島津・仙台伊逹の諸家が対象。 ●少将 これも近衛府少将から。武家では越前・松江(以上、松平)、細川、岡山・鳥取の両池田、御三家の庶流、大老および高家筆頭が任ぜられた。吉良上野介を吉良少将と言うのも吉良家が高家筆頭だったことによる。 ●侍従 唐制は拾遺(しゅうい)。字のごとく貴人に侍り従う官。日本では早くから天皇に従う官を指すようになり、護衛をすることから帯剣した。現代でも宮内庁の特別職として侍従職があり、古名が現役で使われている稀有な例。江戸時代でも朝廷に侍従が置かれていたが、武家では少将以上の家格を除く国持大名(毛利・鍋島・黒田・浅野・佐竹・上杉・山内・藤堂・有馬・蜂須賀)、宇和島伊逹・立花・丹羽・岡崎本多・庄内と姫路の両酒井・榊原・小笠原および老中・京都所司代・側用人・高家が任官した。 ●四品 四位。武家において侍従以上に任官せず、位のみ一般の大名より高い。大坂城代のみ。 ●諸大夫 五位相当官。武家では一般の大名家当主、旗本の番頭(ばんがしら)や奉行が任ぜられた。 ●布衣 麻布製無紋の狩衣(かりぎぬ)で、六位以下の者が着用した。着用を許されて初めて任官となる。以上、五位以上は公家の官位を採用し、六位以下は布衣の列と着用が許されない平士に分けた。
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