政談187
【荻生徂徠『政談』】187
(承前) 役人を長く一つの職にとどめて役替えをしなければ、不平不満を言うようになるものである。しかし、その役に適任の人を他の役に替えてしまうのは惜しいこと。よって、長く一つの役にとどめて役替えさせない場合は、俸禄を上げるか、官位を上げるしかない。役はお上から賜るものだが、賜った者が勇み励んで職務に精励することはなかなか難しく、人を使うにはいろいろ支障がある。町奉行や盗賊奉行(盗賊改め)を拝命した人はなかなかよく仕事に励み、ほかの役に異動させるのは惜しいが、加増もそうたびたびはできないし、やむを得ず大目付などに役替えさせて、他の者を後任にさせても、大目付となった前任者のような勤めができないからといって、大目付から奉行に戻すことは降格となるため、申しつけ難い。これは一つの例えだが、他の役でも同様のことがある。こういったことも、一役一席の仕組みに起因している。
[語釈]●大目付 目付と大目付は全く職掌が異なり、任命されるのも目付が中・下級の幕臣(旗本)なのに対し、大目付は大身の旗本で、町奉行などを勤めたキャリア組。目付は一般の武家の監察をするが、大目付は大名を監察(監視)するため、大名並みの待遇となった。旗本における最高の地位で、留守居、御三家家老に次ぐ身分とされた。今の最高裁にあたる評定所(政策の立案、審議も行う)のメンバーで、他には寺社奉行(これは大名が就任する役)・町奉行・勘定奉行から成る。目付は身分が極めて低く、参加の資格はない。通常、東京都知事・警視総監・高裁長官・地裁所長などを兼務する町奉行はそれだけでも大した身分だが、大目付は大監察、最高裁長官であるから、町奉行から大目付へ異動すれば昇進となる(これは既定のコース)。大目付から町奉行へ異動するケースはほとんどないが、この場合は事実上の降格となる。徂徠が言うように、能力があるからといって、一旦大目付にした者を町奉行に再任用するのは降格、更迭であり、俸給も下がるために、世間的には懲罰を受けたと解してしまうし、当人のプライドも傷つく。とはいえ、あまりに長く一つの職にとどめておくのは、経験年数と実績に対してなにも報いていないことになるため、俸給を増したり、叙任により官名を上げる(~の助を~の守(かみ)にするようなこと)ことで栄誉欲を満たしてやる。が、これも頻繁に行うことはできず、今の政権が国民栄誉賞を乱発することでその価値を下げているような状況になる。役人の世界はピラミッド構造で、上の席ほど減る。また、省にも格があり、財務省のように絶大な権限を持つ所はエリート中のエリートという意識が強く、教育や文化に資する国民生活に重要な文科省は「三流」などと酷評する向きがあるぐらい低く見られている。実際はそんな格などないはずだが、その意識は当の官僚たちにもはびこれば、ウソから出たまこと状態にもなる。また、同じ省内でも部局により中心をなすものから傍系のものまであり、同じ局長でも、ある局長は次官コースであり、その他の局長はそれ止まりといった差がある。出世コースの局の仕事よりも別の局の仕事が性に合っていても、一旦、出世コースの局長にしてもらったら、「自分はこの局の仕事がしたいので変えて頂きたい」とはなかなか言えない。もし、強いて配置換えを頼んで実現してもらっても、ハタから見れば「あの人は左遷されたのか」とあることないこと裏で言われるようになる。役人の世界はタテ社会でメンツにこだわり、採用してくれた主体者および直属の上司にのみ恩義を感じる風土だから、位というものにとてもこだわる。これがすでに江戸時代にも蔓延していたわけです。
0コメント