政談183
【荻生徂徠『政談』】183
●武家米を貯うる仕形の事
世間を賑わす道は右の通りであるが、知行所では風水害もあれば、家に子どもが多く、嫁取り・婿取りが続き、長患いといったように困窮することが必ずあり、覚悟が必要である。しかし、これらは自力では無理なことも多く、脇から助け救わなければ叶わない。城下では一町の中での転居を禁じ、武家は知行所に定住して、一郡を一組とし、幼少より同組同所の者たちと慣れ親しむようにし、睦まじい関係となって、悪事に対してははっきりと意見を言い、それでも改めない者については組の頭(かしら)へ訴える制度を立てておけば、制度がある安心と、制度に頼らずに自然と相互に助け合おうとする人情が育つことである。
その上で、天領も藩の領地も年貢米をむざむざ売り払うことをせず、蔵を建てて貯蔵しておくようにする。貯蔵については、蔵の内壁を板張りにし、米は籾(もみ=脱穀しない米)のまま俵に入れずに置く。籾のままであれば何年も持つものである。俵に入れると盗まれやすいが、そのままだと盗むのも大変だから盗難も防げる。虫もつかない。もともとこの保存法は中国でのもので、日本では近江の国などでは今もこのようにしている。日本御図帳(みずちょう)に、年貢の石高を殊の外高く記載してあるのは、籾殻がついたままの升目(ますめ)を記したものである。毎年の年貢米のうち四分の一は売り払ってはいけない。これは昔の王制の古法である。
[語釈]●日本御図帳 正しくは「御図帳」。土地台帳。律令時代は民部省図帳、室町期には大田文(おおたぶみ)・図田帳といった。いずれも年貢の石高は籾の状態の量で、籾殻を除くとおよそ3割減となる。1万石であれば実高は7千石といったように。
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