1925年4月15日
1925年4月15日 大正14年
【内 閣】
総理 加藤高明/外務 幣原喜重郎/内務 若槻礼次郎/大蔵 濱口雄幸/陸軍 宇垣一成/海軍 財部彪/司法 小川平吉/文部 岡田良平/農林 高橋是清(商工大臣兼任)/商工 高橋是清(兼農林大臣)/逓信 犬養毅/鉄道 仙石貢/内閣書記官長 江木翼/法制局長官 塚本清治
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎
[海 軍]
海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎
【植民地高官】
朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助
【東 京】
府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公
大日本連合青年団設立。
男子青年団の全国的な連合組織。20年頃から東京連合青年団長であった後藤新平を中心として連合青年団の結成が推進され,25年に統一して大日本連合青年団が結成された。名古屋で発団式が行われ,理事長に一木喜徳郎が就任。日露戦争後,政府は在郷軍人会,愛国婦人会と並んで青年団組織を強化する政策を打出し,戦時体制の強化の一環を形成しようとした。その具体的な現れとして,市町村を単位とし,強力な指導のもとに上から青年団組織がつくられたほか全国組織としては全国青年団中央会,全国青年団連合会が組織された。1939年大日本青年団と改称,軍国主義的教化運動を行った。41年1月には大日本青少年団となり、翼賛体制の一翼を担うこととなった。
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