政談182
【荻生徂徠『政談』】182
(承前) すべての事、大きな事はまず大枠を決めて、あとから細部を仕上げてゆくのがよい。先後緩急の序とはこれを言う。具体的には、町人・百姓の衣服は麻木綿とし、老人と女はつむぎまで着用を可とする。その他は使用させてはならない。よって、さん留(とめ)・かなきん・唐木綿などを「これは木綿の一種だ」などと紛らわしいことも固く禁止する。住居は床(とこ)・違棚(ちがいだな)・書院造り・長押(なげし)造り・切目縁(きりめえん)・唐紙障子(からかみしょうじ)・張付・赤壁・白壁・腰障子・舞良戸(まいらど)・杉戸・らんま等の類、玄関に式台を付け、天井を張ることを固く禁ずる。器物に蒔絵・梨子地(なしじ)・青貝・黒塗り・朱塗り、並びに金・銀・赤銅(しゃくどう・あかがね)の金物(かなもの)も禁ずる。脇差は皮柄(つか)・藤柄・皮下緒を用いる。糸柄・鮫をかけ、金・銀・赤銅の飾りを固く禁ずる。但し鞘(さや)は黒塗りを許す。乗物は町人・百姓ともに禁止。紙は奉書類・杉原・糊入(のりいれ)・美濃紙・中杉・小杉、とりわけ檀紙(だんし)は禁止する。燭台・提灯・合羽は百姓は禁ずる。
以上は百姓を憎んでのことではない。彼らの身上として、奢りによって物入りが多くなり、暮らしにおいて出費がかさむのが常となったため、このような制度を確立することは彼らのためによいことである。そもそもこれらの諸物を町人・百姓らが心のままに使うようになったから物価が日々高くなったのである。とはいえ、この吟味は、竿の先に鈴をつけたようにはなかなか行き届かないことであろう。しかし、つまりは武家を知行所に定住させなければこの法は田舎の隅々まで行き渡らないだから、まず武家には制度を立てず、百姓町人に対して制度を立て守らせれば、物価は下がるだろう。四、五年もかけて武家に息をつかせてから、その上で武家にもこまかな制度を立てたなら、御政道は滞りなく行き渡るだろう。これが緩急先後の方法である。
[語釈]●さん留 桟留縞。インドのコロマンデル地方の異称「サンートメ」から渡来した縞のある綿織物。なお、舶来品を唐桟(とうざん)という。 ●かなきん 目が細かく硬い薄地の綿布。 ●唐木綿 西洋舶来の綿布。糸が細く織り幅が広い。 ●長押 柱と柱の間の壁に取り付ける装飾的な横木。 ●切目縁 縁板を敷居に対し直角に張った縁。 ●張付 絵画・模様などを描いた絹や紙を貼りつけた壁。 ●腰障子 腰板のついた明障子。 ●舞良戸 細い桟を横に小間隔に取り付けた板戸。 ●式台 客を送迎するための玄関先の板敷。 ●蒔絵 漆塗りの器物の上に金銀粉などで描いた絵。 ●梨子地 金銀粉の上に漆をかけ、梨の実のような色を出した蒔絵の一種。 ●青貝 真珠光を帯びた薄い貝殻を漆器の面にはめ込んだ細工。 ●奉書 純白で厚手のきめの細かい紙。檀紙の一種。重要な触れや伝達など限られた用途に使われた。 ●杉原 播磨国杉原村で始められたとされる薄手の柔らかい紙。米の粉を入れて漉く。 ●美濃紙 障子や書状の包みなどに適した厚手の丈夫な紙。特に美濃産が良質なことから美濃紙と呼ばれるようになった。 ●中杉・小杉 いずれも紙の名。 ●檀紙 厚手で縮緬(ちりめん)のようなシワがある紙。檀はまゆみのこと。
[解説]身分によって衣服を規程するのは現代の感覚からすればとても受け入れられないことだが、徂徠が言うように、衣服を自由にすると無理して高いものを買って見栄を張り、他にもいろいろ贅沢をして結果として困窮してしまうのだから、分相応ということを知らしめるために身分や家格に応じた暮らしをするのがよく、またそうすべきだ、ということ。しかし、それは容易なことではないと徂徠も一方では認めている。
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