政談178
【荻生徂徠『政談』】178
(承前) 但し、衣服の制度については、烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)の着用を定めなければ成り立たない。その理由は、現在の装束は上下(かみしも)・長上下(ながかみしも)といっても、みな白装束である。上下を着ても小袖も見える。小袖は白衣である。布地もいろいろあって、人々の好みや世間の流行りで変えると制度が成り立たぬ。上下も入(い)り、長上下も入り、裏付けも入り、夏上下も入り、羽織も入り、熨斗目(のしめ)も入り、綿入れも入り、袷(あわせ)も入り、帷子(かたびら)も入ることから、品が多いと倹約にならない。白衣の上に制度を立てる時は、今までの袷と帷子は役に立たなくなり、無駄になる。直垂を少し上等なものにする時は、おおよそ二つも作ればそれで一年はもつだろう。下着には今までの小袖でも、木綿・布子でも、女房の小袖でも、上から見えなければ問題なかろう。僧侶の衣のように、上から一つ羽織れば中は何でも構わない。直垂は地も一定し、色も一定し、紋もかたも付けられないものだから、好き勝手なものにすることはできない。
また、素袍(すおう)などを用いるのは麻でできているから質素すぎる。これは昔、武士がまだ郷士で身分が低かった時のものである。民のことを昔から布衣(ふい)と言って麻を着ることから、その当時は分相応であったが、今は武士と民とは区別していることから、武士が麻を着るのは現在の人情にそぐわない。ことに人の心として立派で見事なものを好むのが人情。あまりに粗末な制度では人の心が気乗りせず、悦ばないために、決まりを破る者も出てこよう。女の装束も五衣(いつつぎぬ)のようなものを拵え、地も色も、大小長短一定の寸法を定め、夫や父の官位禄高に応じたものにすべき。このように定めれば、自分勝手や流行といった装束の乱れによる無駄はなくなる。
[語釈]●熨斗目 たて糸生糸、よこ糸練糸で織った絹の衣服。武家の礼服で、大紋・麻上下の下に着た。 ●素袍 直垂の変化したもので、麻布製の通常服。胸紐・菊綴を革とし、袴の腰紐を袴と同じ地質とする。庶民が着用したが、江戸時代に平士・陪臣の礼服になった。 ●五衣 平安時代の女房装束。袿(うちぎ)を五枚重ねて着たもの。
0コメント