政談177
【荻生徂徠『政談』】177
●制度の事
制度の事は右にいろいろ述べたように、上下とも倹約を守り、奢ることがないようにする。これに勝るものはない。公儀において諸事倹約をして世間の手本としようとも、制度を立てなければ下々の者たちは守りようがなく、ただ「お上は物好きで倹約をされている」と理解し、考えが至らぬ者などは「お上は金を貯めるのが好きなようだ」とまで曲解し、これでは下の者のためにはならない。また、お上の身上も制度がなければ、御代が変わってその時のお上が物好きだと倹約を破ることも生じる。制度がなければ倹約令は無意味なものとなってしまう。
そこで制度についてだが、上は大名より下は小身の諸士に至るまで、衣服より住居・器物・食事・供廻り、役席・官禄などの分限を基本として立てる。役職による品、席次の高下、官位の高下、禄の多少によって法を定めたならば、分不相応な贅沢をしたくてもできないようになる。器物・住居は永く使うものなれば禄に応じたものにする。衣服・供廻りは役席・官位に応じて変える。座敷においては、衣服の等級によって役席・官禄が明確であれば、おのずから無礼となることはない。登城・屋敷へ戻る途次は、供廻りの装束・乗物・馬具などの品によって役席・官禄が明確になれば、これまた無礼な振る舞いはなくなる。今のように、供廻りを大勢連れて混み合い騒ぎ、無用な日雇いを加えて格式ばった見栄を張るようなこともなくなることだろう。
[解説]当時は厳格な身分社会であったものの、先述のように衣服ひとつとっても金をかけて同じような柄、色合いのものを高官も下僚も着用するのが流行(というより、今のリクルートスーツのように個性を殺して人に合わせる)となったから、下僚が同僚と思って気安く高官に声をかけたりいきなり冗談を言って失礼な振る舞いをすることが頻発した。逆に、高官が向こうから来る威風堂々とした者を見て、脇にどいて会釈をしたら、その者は下僚であった、ということも。つまり、衣服がみな同じようになった結果、皮肉にも城内が平等の空間となり、けじめがなく、馴れ合いやら無礼な振る舞いが目に余ることとなった。そのため、公務では厳格に身分や官位に応じた衣服を定めて、ひと目で老中や若年寄、留守居役といった高官、大名といった大身、奉行ら旗本、そして陪臣といった区別がつくように制度によって明確にすべきということ。この他、屋敷や使用する什器、供廻りの服装から駕籠や馬具なども区別すれば、道すがら出会っても下位の者が上位の者に道を譲り、相手の身分や家格がわからず、供廻り同士で「道を開けろ」「そっちこそどけっ」といった喧嘩も防げるということ。参勤交代や江戸城の行き帰りで、供廻り同士のにらみ合い、果ては乱闘、斬り合いといったことが頻発し、幕府・各大名とも手を焼いていた。主君や家老らがいくら「絶対に喧嘩せぬように」と厳命しても、供廻りには庶民を雇い、荒々しい者が多く、酒が入っていることもあったから、行列に加わっている時は武家気取りとなり、「オラオラ、どけどけっ」という感じで威勢がよくなった。向こうからも行列が来ると互いにガンを飛ばし合い(先に目をそらした方が負けになるから、ガンの飛ばし合いはすさまじかった)、肩を怒らせて威圧しようとする。正規の家臣たちは駕籠を中心として後方だから、先頭集団のことは把握できない。で、いきなり乱闘となる。
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