政談176

【荻生徂徠『政談』】176

(承前) 人の過不足を調整する方法として、無尽(頼母子講)に及ぶものはない。中国の社倉(しゃそう)の法は最もよい。しかし、城下は人々が勝手に行動し、しかも定住せず、欠け落ちや逐電が多いために無尽が成立せず、このため中止を命じられてしまう。巻一で述べたように戸籍の法を立て、武家には肝煎、町人は名主の世話でやれば無尽が破綻することもなく、人の不足も補うことができる。今も田舎の百姓たちがやっている無尽は破綻することがない。大名の借金は、藩の家老の印のほか、京・大坂・江戸でもそれぞれの奉行の印があれば貸すようにする。身上の高に応じて借金の額を決め、「知行所の内、何々村の年貢米を、利息ならびに本金なし崩しの料に渡すべし」と法を定めたならば、以後は借金がかさむということはなくなるだろう。


[語釈]●無尽 地域の人らが集まって講(こう)を結成し、毎月掛け金をしながら一方で毎月抽選をして当選者に所定の金を渡す。参加者は必ず当選し、損はしない仕組み。頼母子講(たのもしこう)とも言う。全員が当選した時点で一旦終了、解散となるが、金融の原始的なものであり、金が必要な社会となるにつれて恒常的に開かれるようになった。地域や講によって仕組みはいろいろあった。伊勢参りや富士登山が国民的行事となり、一生に一度は伊勢に行きたい、富士の山に登りたい(これは男性のみ)という人が増えて、伊勢講や冨士講も作られ、互いに金を出し合って毎年誰かが積み立てた金で代参という形で旅をし、これも必ず全員が一度は当たるようにした。一方で講の形態をとった賭博も開かれるようになり、幕府はたびたび禁令を出したり取締をした。明治以降も講は続き、私的な集りから次第に法人化したものが登場し、相互銀行など「相互」という社名として発展した。戦後は相互銀行法という根拠となる法律も出来たものの、相互掛金は昔の講とは大きく異なり、銀行法の改正(定期積金等)、さらに相互銀行法の廃止により、現在、法人で無尽そのものを行っているのは日本住宅無尽株式会社ただ1社のみという。私的なものは今も農山漁村などで行われているほか、会社などで旅行や飲み会など、親睦会(慰安会)のために毎月会費を集めては還元する仕組みも無尽の一形態で、日本独特のもの。最近は、参加したくないのに金を出さず参加しないと社員として非協力的とみられ、苦痛を感じるといったことが問題化されているが、通過儀礼だ、帰属意識を高めるために業務以外のつきあいは当然だという意識も日本特有のものとして見直すべき時に来ているといえる。無限連鎖講(ネズミ講)は言葉でもわかるように無限に参加者を増やさなければならず、仕組み自体成立し得ないものだが、勧誘する者が巧言を弄するために釣り込まれる人が後を絶たない。講はあくまで決まった範囲を言い、無限とは対立する概念。


↑安政3年(1856)、宗玄寺の庫裏が大変痛んだので、頼母子講で資金を工面しているが、公費補助金を頂きたいという陳情書。(古市自治会公式ホームページ http://furuichi-ji.sasayama.jp/index.html より)

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