政談173

【荻生徂徠『政談』】173

(承前) 人の身上というものは、一年の暮らしを通してよく見るに、大体はその暮らし方にもよるが、人の世には思わぬ出費というものがあり、予め決めた予算では間に合わぬものである。余った分を不足分に充てることは天地自然の道理であるから、借貸は昔の聖人の世にもあったことで、借貸を禁じるのは道理に背くことである。ただ、近年は訴訟が膨大で奉行所での裁きが困難になっているため、多くは話し合いにより解決させているが、これは奉行所役人の手前勝手というべきである。総じて人の争い事は金銭より起こる。訴訟を受けるのは争いを止めさせる方法なれば、借貸の訴訟を聞くことは、昔からの政務に定めてあることが『周礼』(しゅらい)にも見えている。ところが、示談に持ち込ませて裁きをしないようにするのは、世の中を治める人がいないに等しいことで、もっての外である。


[語釈]●『周礼』 周王朝の理想的な制度について記した書物で、『儀礼』(ぎらい)『礼記』(らいき)と共に三礼の一つである。古来より「しゅらい」と読み慣わしている。儒家が重視する経書(けいしょ)だが、特に重んじられた五経には礼関係では『礼記』が採られており、『周礼』は専門家が見るぐらい。江戸時代に大いに読まれた四書(大学・中庸・論語・孟子)のうち、「大学」と「中庸」はもと『礼記』にあった篇で、南宋の大学者・朱熹(しゅき。尊称して朱子)が初学のために特に独立させた。尊徳二宮金次郎が薪を背負いながら読んでいる書物が「大学」。

[解説]膨大な訴訟の大半が金銭問題、貸借のもめ事の為、町奉行ではこの手の訴訟は受け付けず、話し合いで解決するよう触れを出したことに対し、孔子同様徂徠もすばらしいものとして評価している周王朝の制度に照らして、人の争いの多くが貸借によるものであり、これを解決するのが行政の務めなのに、幕府が今、これを放棄するのは政治を放棄するのと同じでとんでもないことだと痛烈に批判しています。


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