政談169
【荻生徂徠『政談』】169
(承前) 今はまた一両が四貫文前後に上がって下がらなくなったが、これは銭が減少したことも理由である。この道理は二つの要素がある。一つは、銭の数を減らさなくとも、元禄以後は特に商人たちが田舎の山奥にまで行くようになったことから、金銀も銭も田舎へ行き渡るようになったことである。金銀は旅に自由に持ち歩くことができるが、少額の銭は多く持つと重くなり、旅に持って行くには不便である上に、田舎へも商人が行き、田舎の人たちも今は銭で物を買うようになり、普段の小用は銭で済ますことから、銭はどの家にもあり、城下へ戻ることがない。このため、銭の数を減らさずとも、商人が広く活動するために、銭が足りなくなるわけである。
二つには、実際に減少したということ。松平伊豆守殿が仏の大慈悲をよく会得し、大仏を鋳潰して銭を作らせたが、後生の幸福を願う人々が「勿体ないことだ」としてその銭を手あたり次第集め、その銭を鋳潰して仏像を作ったり鐘を鋳るたたらの中へ入れてしまったため、今はその銭のほとんどが無くなってしまった。大仏を鋳潰して作った銭は普通の銭と異なっているため、容易に見分けがつき、探し出すことができる。この外、火事で焼けてしまったり、湯殿山の水中や浅間山の火中に投げ入れたり、六道銭として地中に埋めてしまうのも、積もり積もって莫大な数になることから、実際に銭の数が減少したのであろう。
[語釈]●六道銭 俗に言う三途の川の渡し賃のことで、死者の棺桶に六文を入れる風習。中国では死者が死後も困らないように紙銭をできるだけ大量に入れておく風習があるが、その影響があるようである。
[解説]現在、貨幣を鋳潰すことは法律で禁じられているが、貨幣は金・銀といった素材そのものに価値があるものと、銅のように使い道が多いものが使われるが、どちらも昔から鋳潰されることが多く、いくら大量に鋳造、流通させても不足する事態が生じた。もとは仏像の銅だったという銭は、それだけでありがたいものだから使わずに御守りのようにして持っていたり、たくさん集めて持仏などを作ったり。さらには、信仰上の行為として、霊場といわれる所で水や火口めがけて投げ入れたり、しまいには死者とともに棺桶に入れて土葬したり。こんなことが広く行われると、たちまち通貨不足が起きる。特に庶民が使う銭は生半可な数ではとても足りないから、大量に鋳造する。庶民の暮らしが変化し、農村でも銭で買い物や支払いをすることが当たり前になると、1軒あたり必要となる銭の数が飛躍的に増える。その銭がないと暮らしが滞るまでになると、いい加減な発行や流通はできない。物価をいかにして低く抑えるか。銭の発行高、流通高までよく調べ、見通しを立てて鋳造するのは国家の責務。
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