政談155

【荻生徂徠『政談』】155

(承前) また、しめ売りについては、昔はまだ商人たちも初心を持っていたから、品物を買い占めて倉へ入れておいたから、その状況が露見しやすかった。今は品物の出所へ商人より先に金を渡しておき、他人に買わせないようにすることで、高値も安値も商人の意のままとなる。まだ高値で売らないうちは、はた目には安値で買わせようとしてくれているのだろうと見える。或いは甲州よりぶどうを売りに来る商人は、値段をつり上げるために五駄も三駄もわざわざ谷へ捨てて少ない数にして持って来るという。得を取るために損をするというのは、商人以外にはなかなか思いつかぬ料簡である。これも商人の勢いが盛んになったため、知恵に知恵を磨いて極限まで上り詰めたのだから、物価を奉行の指示ぐらいで下げることはなかなか難しい。


[語釈]●しめ売り 価格を上げるために品物の供給を抑えること。買い占めと売り惜しみ。 ●五駄も三駄も 駄は馬に載せた荷物のこと。馬一頭の荷物を一駄として数える。五駄・三駄は、馬五頭・三頭分の荷物(ここではぶどう)。かなりの量である。 ●谷へ捨てて 原文は「谷へほかして棄る」。「ほかす」は現在は関西弁として使われているが、江戸人で学者だった徂徠が使っているように、昔は地域限定ではなく、広く使われていた。漢字では「放下す」。「あほ」(阿呆、阿房)も秦の始皇帝の宮殿・阿房宮(あぼうきゅう)が由来と言われている。これは疑問視する向きもあるが、和語としての「あほ」では意味がはっきりせず、漢語由来の和語が最初は知識階級で使われていたものが次第に一般的になり、俗語化する現象がみられることから、無下に否定するのもどうかと思われる。

[解説]違法な商売、商取引の基本的なものはこの当時にほぼ出揃った感じで、しかも巧妙な手口も見られるようになり、すべてが物価の上昇につながっている。管轄の町奉行がいくら形式的に触れを出して価格を下げるように言っても、既に構造的な問題にもなっており、商人の意識の改革も含めて事は容易ではないわけです。


過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。