政談153

【荻生徂徠『政談』】153

(承前) また、江戸も田舎も武家は旅宿暮らしの状態で、金で物を買い調えて用を済ませることから、商人の勢いが盛んとなり、日本国中の商人が結束して一つになり、物価も遠国と江戸が連携しているため、数百万人の商人が一つになった勢いにはとてもかなわず、いくら城下で価格を下げるよう下知(げち)をしても下がらないことが多い。また、品物の産地である遠国から江戸まで運ばれる間に幾人もの運び屋の手を経るために、それぞれの運び屋が利益を運賃に上乗せして儲けることから、費用は莫大になり、これもまた物価が高くなる理由である。


[解説]問屋、仲買、小売りといった商品の流通経路が確立するとともに、問屋の同業組合の結成も各地で見られ、特に大坂・京・江戸の三都の問屋組合が全国の市場を支配し、価格調整までするようになった。組合は江戸と大坂間の海上輸送の不正や、遭難による損害を防ぐために、元禄7年(1694)に組織されたのが最初。当初は綿店・酒店・紙店・塗物店・薬種店など10組あったことから十組問屋(とくみどいや。問屋は当時「といや」と発音)と称した。のちにその組合数を増して二十四組に。幕府も当初は組合方式を奨励し、保護し、種々の特権を与えたものの、今で言うカルテルを結ぶまでになり、飢饉の時には米を放出すべきなのに売り惜しみをし、通常より高額で売るようなことまでするようになったことから、悪質な者を摘発、処罰した。ところが、武家の多くが商人から借金をしているために強く出れば足元を見られるのと、摘発すればするほど商人たちの結束が更に強まり、吉宗と大岡越前は最後までこの問題に悩まされ、なんら解決策を見いだせないまま亡くなってしまった。徂徠も物流の段階で不当に手間賃を上乗せするために物価の高騰を招いていることを指摘し、だからこそ江戸に武家たちは集まらず、それぞれの土地に定住すべきことを重ねて説いている。


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