政談147

【荻生徂徠『政談』】147

(承前) 百はある職人の技術でも、江戸・京都・大坂などではうまくゆかないものもある。私は唐紙と唐筆でなければ書き物がうまくゆかないため、あちこちに問い合わせて、日本国内でも唐紙を漉き、唐筆を作る人はないかと尋ねたところ、唐紙は以前、大坂で漉いていた職人がいたものの、制作に金がかかりすぎて商売にならぬからと止めてしまったという。唐筆は弟子たちの中で指示をして結わすことができる者がいるが、結局これも手間がかかって損をするだけといって結わなくなった。活版印刷というのは調法であるが、これもご当地などでは手間がかかり、版木に彫るよりも損である。石摺りも正しい方法は手間がかかって商売としては成り立たない。織物の類は京都で織るが、これも唐のように織ると金がかかるため、薄く織って唐のものより劣る。なぜ金がかかるかというと、店賃が高く、物価も高いため、なにをするにも金がかかり、それで良いものができないのである。


[注解]木活字による印刷は文禄2(1593)年の後陽成(ごようぜい)天皇勅版『古文孝経』(こぶんこうきょう)が初めてで、以後、朝廷や幕府、京都の寺院などから次々と出され、一時はとても流行したものの、版下を版木に張り付けて彫る整版(凸版)印刷が急速に普及し、いちいち活字を組むより手っ取り早いことから整版が木活字を凌駕し、駆逐するまでになった。今は版木に字や絵を彫ることさえプロでも大変な労力が要るが、江戸時代の職人は恐ろしい速さで彫り上げた。タテの線を彫る者、ヨコの線を彫る者など大勢で分業することも行われた。浮世絵のように寸分たがわぬ版木を色の数だけ彫る(ズレないように摺る作業も)技術も大変なもので、よくぞ先人たちは手作業でこれだけのことができたものと感心させられてしまう。画像は慶長度(年間)に出版された『慶長版古文孝経』(木活字本)。


木活字本はよく見ると文字の並びがガタガタで、肉筆をそのまま彫った整版本と違うことが分かる。

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