政談146

【荻生徂徠『政談』】146

(承前) 古より民を治めるには農業を奨励するのがよいと言われる。水戸の義公(=光圀公。いわゆる水戸黄門)は水戸で紙漉きをさせ、茶の栽培、河口でのりの養殖、白魚を放流するといったことを奨励したため、かつて水戸にはなかった産物が今はいろいろある。また、石見国津和野の亀井隠岐守殿の家老の考えで、石見には曲った樹木が多いことから、鞍作り職人を各地から呼び寄せて鞍を作らせ、これにより津和野では鞍を生産するようになり、隠岐守殿が諸方へ音信を寄こす際にもこの鞍を載せた馬を使わせた。このような例はいくらでもあり、民のため、地頭のために大いに貢献することである。


[注解]●水戸の義公 義公(ぎこう)は諡(おくりな)で、生前のその人物の人柄や言動などを偲ぶために贈られる号。義に篤(あつ)い主君ということ。黄門は光圀公の官位が中納言であることから、中国で同等の「黄門侍郎」(こうもんじろう)の略称「黄門」で呼ばれた。但し、幕閣や朝廷などの中だけで、一般にはおいそれと呼ぶことは憚られた。そんなことからいつしか「ご老公さま」といった呼び方が使われるようになり、時代小説や時代劇でおなじみとなった。そのご老公は牛乳やラーメンなどいろいろと採り入れて普及させ、なかなかの食通でもあった。決して贅沢で飽食なのではなく、安くて健康的なものを志向した。諸国を漫遊することはなかったものの、人格者であったことは確か。自分の子を高松藩主に、兄の子を養子として水戸の藩主としたことはなかなかできることではなく、これがきっかけで立派な人というイメージが広まることに。

 後半の石見(いわみ。鴎外森林太郎の出身地で有名)の鞍の話は、その鞍を装着した馬で文書などを各地に送れば、宣伝にもなるということ。先方でこれを欲しがり、注文が来ればしめたもの。実物を現地で見せる商法。

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