1940年3月9日
1940年3月9日 昭和15年
【内 閣】
総理 米内光政/外務 有田八郎/内務 児玉秀雄/大蔵 桜内幸雄/陸軍 畑俊六/海軍 吉田善吾/司法 木村尚達/文部 松浦鎮次郎/農林 島田俊雄/商工 藤原銀次郎/逓信 勝正憲/鉄道 松野鶴平/拓務 小磯国昭/厚生 吉田茂/内閣書記官長 石渡荘太郎/法制局長官 広瀬久忠
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 湯浅倉平/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 近衛文麿/枢密院副議長 原嘉道
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 山田乙三
[海 軍]
海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭
【植民地高官】
朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介
【東京】
府知事 岡田周造/市長代理 大久保留次郎
機械化国防協会創立。
財団法人機械化国防協会は、かつて存在した旧・日本軍:陸軍省の外郭団体。機械化国防協会は昭和15年(1940年)に、科学技術と国防教育を推進するために国と軍需産業からの供託を受けて設立された。その前身は陸軍省の外郭団体として設立された機械化兵器協会で、活動目的は陸軍部隊の機械化の必要性の啓蒙と軍事費増大への政治活動および国民や自治体からの寄付による兵装の充実だった。協会会長は退役した陸軍大将:吉田豊彦が六十歳代後半で就任し、敗戦による協会解散まで務めた。吉田は要塞砲兵射撃学校出身で陸軍時代はドイツ留学ではクルップ社の技術陣と親交を深めた才人。陸軍大臣秘書官、英米への視察、兵器局長なども歴任した吉田豊彦大将は、退役後日本製鉄の取締役、満州電業(満鉄傘下)の社長なども歴任し、経済界とも太いパイプをもっていた。協会は東京市内日比谷通りでの戦車行進閲兵式、自治体に兵装を展示しての浄財集め、広報宣伝の小冊子配布、国防科学雑誌『機械化』の発行なども行った。その事務所は有楽町駅前の東日会館(東日天文館)に置かれた。
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