政談144

【荻生徂徠『政談』】144

(承前) 昔は大名に公儀の仕事をさせて散財させるのは上策だったが、今はどの大名も大変困窮しているから、とにかく身上をよく保ち、末永く参勤交代ができるようにすることが、現時点での良策である。具体的には、これも公儀と同じで、その国の産物を直接使い、金を出して必要なものを調達させないようにすること。家中の武士すべてに知行地を分け与えてそこに居住させ、必要に応じて城下に勤番するようにし、参勤の時に同行する人数も極力削減し、城と屋敷の往復の際の人数も減らす。奥方の作法をはじめ、その身の持ちよう、食事、衣服、器物、住居、人の使い方、音信、贈答、使者、冠婚葬祭の礼まで、その官位や禄高に応じ、無駄遣いせずに続けられるように各藩が制度を立てることである。公儀ばかりが制度を立てて、それに諸大名を従わせるようでは、今までも横並びで同じようにし、それを格式となづけたことでもわかるように、なかなか改め難いものである。格式と名付けられた事を破るには、公儀が新たに制度を立てない限りはなかなか破り難いが、これを破らないことには諸大名の財政状況は回復しない。


[注解]この章は以上。幕府は上にある者としていかようにでも治められる立場ですが、かといって治められる側の諸大名が困窮してしまっては元も子もない。幕府も困窮するし、世の中の不満が高まり、治安も悪くなる。武力で弾圧すればさらに反乱を招く。戦国世代がすべて亡くなってさらに1世紀以上経つとはいえ、戦乱はこりごりだという意識はなおも根強く持たれている。ちなみに、現在はまだ戦争世代が健在であるにもかかわらず、その後の世代では早くも「戦争はこりごりだ」という意識がないばかりか、「戦争をして強い日本(この場合、明らかに国家権力のこと)を取り戻そう」と妄想に取り付かれた者たちが政界や言論界をはじめ、ネット界でも勢いづき、軍備拡張のために貴重な税金を湯水のごとく使い、本来、第一に回すべき民生関係については出ししぶり、極限まで削減しようとしている。これは政治とはいえません。わざわざ乱世を招来している。何かと批判も多い江戸時代ですが(といっても、「江戸時代は暗黒時代」というのは明治新政府以来の自分たちを正当化するための国家的印象操作であることは繰り返し述べたところです)、泰平志向が強く、鎖国という状況があったとはいえ外国事情もかなりわかってきたにもかかわらず、外に出て行って侵略しようなどといった気持ちはまったく起こさなかった。これについても明治以降批判する人が多いわけですが、無用な戦乱を引き起こして無辜の民を犬死にさせなかったことは大いに評価すべき。死刑をしなかった平安時代、それに戦争を忌避した江戸時代は昨今の国家主義者たちに嫌われ、独自の教科書でも無視、軽視されている。大河ドラマといえば戦国時代と幕末ばかり。腐敗は泰平の世にこそ起きるので、勇ましさも結構ですが、泰平の時代のど真ん中に生きた徂徠の警告や対策の数々にも見るべきものが多いことを今一度気づく必要があるでしょう。徂徠は繰り返し、大名から庶民まで、政治によって困窮させるようなことがあってはならないと説く。当然です。政治は正しく治めること。当然、困窮から救うことも含まれる。それがいやなら政治家になる必要はない。政治とはすぐに結果が出ず、日暮れて道遠きもの。苦労が多く、なかなか理解されず、いろいろな批判や中傷もある。しかし、それでも節を曲げず、信念を貫きながら、人々の声をよく聞くこと。楽していい思いがしたい、群れて強い者の後ろ盾を得て憂さ晴らし的に吠えまくりたいといった者たちが勢いづいている世ですが、こういう状態を治めることこそが政治家の本分であり、その対象となる者たちは政治家にして政治家ではないことは明白です。


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