政談139

【荻生徂徠『政談』】139

(承前) その上、綱吉公の頃より子を持った側室を御部屋と名付け、家来には様づけで呼ばせ、親類へもおこがましく贈答をするようになり、側室付の女の召使いは正室の召使いとほとんど変わりがなくなり、しかも御部屋となる者は多く踊り子出身であるから、派手な風俗も加わり、今ではこれも格式となってしまった。


[注解]昔は家を末代まで残すことが主家の最大の務めだったことから、正室(本妻)の予備として側室(妾)を置くのも当然とされた。別にそういう規則はなく、側室を置かなかった主君もいるものの、多くは主君の気持ちは関係なく、重臣たちで用意しあてがった。これだけを見ると男尊女卑でしょうが、側室も正室と同等の待遇となり、側室に嫡男が生まれでもしたらその権勢は正室以上となったほど後継ぎというのは家にとって宝でした。側室のご機嫌を損ねてはいけないと家臣たちはあれこれ忖度し、指示される前に用意したり、金に糸目をつけずきらびやかなものをあてがう。男子が生まれなかった正室のほうがみすぼらしい隠居のような状況で、生母となった側室のほうが「様」づけされる。「様」というのは貴人に対する最高の敬称の一つで、一般的なものではなかった。夫人や権妻(ごんさい=妾のことで、明治に流行った言葉)は私人であるにもかかわらず公人のように女官が付けられ、それを監督する専属の奥様付家臣(公務員)も置かれた。今の「最高責任者」の夫人の扱いや言動が物議を醸し続けていますが、「夫人」の立場や権限は明確に規定しておかなければ、周囲は利用するし、夫人自身の性格によっては自分の立場を積極的に利用して夫を栄達させたり自身の私腹を肥やす行為をする恐れがある。徂徠は側室についての在り方を批判していますが、側室が派手になるのは公家から迎えた正室が派手志向(前節参照)となるからで、公金を夫人や側室のために湯水のごとく使うのは言語道断というわけです。


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