政談138
【荻生徂徠『政談』】138
(承前) 特に大名家の奥向きにおける近頃の奢侈ぶりはひどいもので、これは公家との縁組が盛んとなり、上方の者にだまされてできたでたらめな格式が増えたことによる。公家は高位ではあるが禄高は低いから、元来は質素なものだった。殿上人(てんじょうびと)をはじめ京都の公家たちの人情は、大名をだまして物を取ることを専らとする。公家の娘に付き添って来る女房は、多くは町人の娘、よくて坊官の娘である。この女房たちが自分を高く見せるためにいろいろな故実をでっち上げ、何かにつけては大袈裟なことを求めるために、大名としても公家と縁組をすることで自慢したいという欲があることから、公家の言うことを疑いもせず尤もなこととして贅沢をする。でたらめの公家のしきたりや格式にもかかわらず、いかにも公家らしいものに思えるために今では江戸中の大名の奥方の格式にまでなってしまった。
[注解]「上方の者にだまされて」は原文のままの表記。なかなか辛辣ですが、大名の奥方たちが藩の財政が厳しいのも顧みず華美を競うのは、公家の娘を嫁にすることが盛んとなり、奥方が公家風の暮らしを望んだり、主君のほうでわざわざそれをさせるようになっただけでなく、武家出身の嫁さえも公家風の服飾や化粧、調度品を好み、しかも、それらも公家の世界で古くからあったものではなく、大名に高くふっかけて取れるだけ取ろうというあこぎな考えからまことしやかに「これが公家の妻女の格式です」と説明し、それを大名たちが信じたためにますます財政悪化に拍車をかけているのだ、と徂徠が半ば上方人を侮蔑するような口ぶりで非難しています。
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