政談137

【荻生徂徠『政談』】137

(承前) 大名が倹約しようにもできない状況を子細に調べてみるに、大名が格式にとらわれて身動きが取れず、格式に合ったことを第一と考えるから倹約どころではないようだ。その格式というのは、朝夕の身の持ちよう、つまり衣服・食事・器物・住居から、家来たちの使いよう、奥方の作法、音信や贈答、使者の作法、城下での供廻り、道中のしきたりから、冠婚葬祭の礼儀まで、もともと古来から決められたことではなく、公儀が定めた法でもないのに、世間の風潮から次第に華美になり、周りのやり方を見てはそれを真似て行うことが永く続き、これが格式というものになり、大名自身も家来たちも格式を守ることが最も重要であると思い、格式がなければ大名ではないとまで思うようになった。今では作法やしきたりについて何も考えずにただ漫然と従う者がとても多い。格式というものは世の移ろいにつれて出来たはやり事に過ぎない。これが続くうちに固まったもので、なんの役にも立たない。しかし、それでもこれを格式と思い込んで皆が従っているゆえ、今では抜き差しならぬ事となり、身動きがとれないまでになってしまった。


[注解]原文は「格」。大名は家柄や将軍家との関係、それに石高などで格式が細かく決められているが、徂徠が言うように、もともとこのようなものはなかったし、国家の制度、法令として定めたものでもなかった。自分たちで自分たちをわざわざ縛り、横並びにして目立たないようにした。これはこれで一種の知恵ともいえるが、財政が厳しいのに格式に相応しい姿をし、進物をやり取りし、結婚さえもほぼ同格の家の者とするといった不文律が支配したため、まったく個性がなく、個人の意思(特に主君)も表明しないのが当たり前とされてしまった。当時は身分が高い者ほど窮屈だったという大きな理由が「格」であり、これを伝統・文化としてしまったことにあります。


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