政談135

【荻生徂徠『政談』】135

(承前) 以上のように諸事よく吟味して、幕府による御買上げという事をやめられたならば、天下をよく保つ古法に叶い、公儀の財政が立ち行かなくなる事態も長きに亘ってなく、諸役人も今のように始終そろばんを離さないといったこともなく、大様に構えても埒があき、見事な世界となる。役目を担う人々はいずれも不学のためにこういった理屈を知らず、本来、自分のものとなるべき産物をわざわざ他人の物にしてしまい、特に大切に備蓄しておくべき米をすぐに売り払って金に換え、その金でいろいろな物を買い上げて御用に弁ずるのでは、いくら倹約と言ってもいつまでたってもそれどころではなく、末には倹約よりもひどい状態になる。昔はそろばん勘定といったものは武士がやることではなかったのが、倹約といったことが言われ出してから利勘を優先する世となってしまった。古法に返らなければ今の風潮が直ることはないであろう。


[注解]武士が天下を掌握し、泰平の世にあっては、上士は為政者、中・下士は公務員としての仕事をするようになった。年貢(税)の徴収から俸禄をはじめさまざまな公金の支出を管理するため、そろばん=経理は重要な仕事となった。しかし、現代人にはなかなか理解し難い感覚だが、金や商人は卑しいもの、汚いものという認識が古くからあり、金勘定に汲々とする(=あくせくする)のは武士にあるまじきこととされた。しかし、現実に幕府や藩(明治以降の強烈な国家意識というものはない)の経営のために財政運営は必要であり、事務は欠かせない。それでも初期の頃は商人のような真似事をするといって嫌われたが、徂徠の言うように時代が進むにつれて金が万能の世となり、倹約といいながら一方では必要なものをすぐ揃えるために金額は二の次にしたことから商人の言い値で買わされるようになり、商人はこれに味をしめてさらに値をつり上げる始末。しかし、相場は変動するものだし、公定価格などというものも完備されていないから、明らかに高いとわかっていても時代劇のように威張って安く買い叩くといったことはできず、倹約のために逆に無駄遣いをする逆転現象が起きるまでになった。これを改めるには、本来は当然自分の収入となる知行地からの上がりを確実に得るために武士は知行地に戻り、江戸は必要最小限の人員だけにする。そうすれば、商人や職人が集まる必要もなくなるし、日雇いやそれと表裏一体をなす遊民もなくなり、うわついた風俗は質実剛健のあるべき状態に戻る。これこそがすばらしい世界だというわけです。若い頃は長く庶民の中で耐乏生活をしてきた徂徠だけに、大所高所から論じるだけでなく、下からの目線もちゃんと持っている。なにより情熱家です。必死に将軍吉宗に対してゆがんだ世の中を正すには、一度原初に返るべきだが、すべてをそうすることは不可能で、今の世にふさわしいものにしながら、これから後の世まで永く安定したものとなるよう改めるべきと力説します。


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