政談134

【荻生徂徠『政談』】134

(承前) 人足の類は、旗本の下人と江戸中の町人の役目とすべき。この七、八十年前までは、日雇いを使って普請をするということはなかった。小普請(こぶしん)金は昔の名残である。京都在番にもこの遺法があると聞く。金を払って日雇いを使えば、それ目当てに城下に遊民が多くなるし、日雇いの請負ではいろいろな問題も起こる。


[注解]●小普請金 小普請は幕府の職制の一つ。名のとおり、小規模の普請(土木工事)のことで、それを担当する職。3千石以下の旗本・御家人のうち、おもに無役の者が所属した。無役の理由は老齢、幼少、病気、処分により職を解かれたなどで、もちろん無役とはいえ幕臣であるから自分で作業に従事するのではなく、人夫の指導監督にあたった。徂徠が言うように、人夫といってももともとは家来を使い、日雇いを使うことはなかった。しかし、元禄3(1690)年に幕府は金納方式に変え、普請の人夫は上納させた金で日雇いを集めるようになった。これを小普請金という。このために各地から労務者たちが集まり、普請はいつも安定してあるわけではないし、天候にも左右されるため、日によっては仕事にあぶれる者も出たり、日給だからもらった金でその日のうちに飲んで使ってしまうといったような状態で、「遊民」が多くなった。また、大工や左官のような生粋の職人とは違い、言われるままに木を組み、石を積み、土を掘るため、状態が悪く、あとで事故が起きてもそれが誰の手掛けたものか担当が明確ではないため、責任は常に上が取らされ、次第に小普請組は嫌われるようになった。土木・営繕部は必要不可欠な部署だが、処分者などが送られる閑職となっては外部に頼ることになり、それではさらに金がかかる上に江戸城の構造や内部の様子が外部に筒抜けになってしまう。徂徠はそういったことを懸念して、あくまで人足は日雇いではなく、指名された者が責任を持って請負うようにすべき、と提言している。


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