政談129
【荻生徂徠『政談』】129
(承前) 古代中国では名山大川は封(ほう)ぜずという定めがあった。これらは大名には与えず公けのものとするということである。材木の出る山、金・銀・銅・鉛などが採れる山、魚や塩が得られる川などは個別に与えてはならぬ所である。今、尾張へ木曽を、紀州へは熊野の地を下されているが、こういうのも古には無かったこと。与えてはならぬ山を与え、将軍家が必要に応じて材木を御買上げなさるのは、なんと不調法なことか。ましてや東山道と東海道の二街道を尾張の領地が押さえているのは、なによりもあってはならないことである。御三家はもとは兄弟の関係であるが、代を重ねること久しくもはや他人の関係であるだけでなく、むしろ注意すべき存在となっている。家光公の時に弟の忠長殿が駿河と甲斐の国を賜ったのも、よくない国分けである。
[注解]●名山大川は封ぜず 『礼記』(らいき)王制に「名山大沢(だいたく)は以て封ぜず」とある。食材や建築材など資源の採れる所は王侯貴族に与えず、公けの所有・管理とすべきということ。
東山道(中山道)と東海道の両街道が尾張の領地を通っているのはよくないという指摘は考えてみればするどい指摘で、もし尾張が謀反を起こしてこの主要道路を封鎖してしまったら、江戸と京大坂との交通は北陸回りか海上となり、特に冬場は困難を極める(大雪、大しけ)。木材や鉱物といった資源の産出地と街道は公儀のものとして大名個人の支配とすべきではないという提言ももっともなこと。しかし、今更各大名からそういった場所を取り上げることもできず、この点に関しては吉宗は聞き流しただけでした。幕府は直轄地(天領)を持ち、およそ800万石と言われていたものの、金(かね)を生むような土地の多くは諸大名の領内にあり、天領はむしろ諸大名が要らないような所ばかりで、資源を得るにはそれぞれの大名から買わなければならず、こういうことも財政を圧迫する要因となったものでした。
とはいえ、街道については関係各大名が自領内の区間に関して責任を持ったことできめ細かい注意・監視が行き届き、たとえば街道筋の旅籠(はたご)や飲食店で食中毒でも出そうものなら藩の恥、藩の責任となるため、驚くほど衛生観念が行き届き、味はともかく、街道では食中毒といった事故はほとんど発生しませんでした。もし、全区間を幕府のものとして土地の者にゆだねなければ、とてもではないが監視は行き届かず、治安も悪く、さまざまな問題が起きたことでしょう。
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