政談125
【荻生徂徠『政談』】125
(承前) いつまでもいつまでも御代が続く限りは、日夜朝暮に役人は倹約の意向を第一とし、息を切らせ、顔を赤らめてそのためにご奉公することを務めとしても、次第にその思いは後世に届かなくなるものだから、いくら努力しても倹約令では詮無い事である。その上、今のような旅宿の境界といった状況をそのまま放置していては何もかも金次第になるゆえ、倹約を第一とすればするほど、上様に軍は金を貯めることを好まれるようだと万民みな思うようになり、遠国まで、さらには後代までも倹約とは上の人たちが金を貯めることだと考え違いをするようになってしまう。こうなるとどうしようもないばかりか、その害は甚だしいことになる。
[注解]倹約令を等しく課しても、余裕のある高位高官は簡単に従うことができ、いい顔ができるものの、暮らしに余裕のない大衆にとっては、とても倹約どころではない。しかし、お上のご意向は「倹約こそ美徳」であり、下の役人にとっては「倹約しない者はお上のご意向に背き贅沢をする不届き者」として、なんとしても従わせようとする(従わない者は指導したり、それでも聞かない者は検挙する、というのは現代的な考えで、当時はちょっと違い、従わない者、放蕩を続ける者がいると、それは指導、監督する者が悪いという考えだし、実際、監督する役人が職務怠慢として処罰された)。このため、貧しい庶民たちも倹約を強いられることになり、食うものも食わず、一張羅を着続け、住まいが傷んでも修理もできず、更に困窮の度合いを増した。いつの世も中間の立場の者は下の人たち、現場のことよりも、上の者の意向を忖度し、拡大解釈して実際の規定や指示よりも派手にやらかす。そんなことを知らぬ上の者たちは「なかなかよくやっている」と評価し、トップには耳障りのいいことだけを報告するので、実情はまったく分からない。
注目すべきは、徂徠の指摘。どうやら当時においては、倹約=上の者が金を貯め込んでいる、と人々が受け取っていたらしいこと。倹約令は富裕層がさらに得をする制度だ、という解釈。しかし、これは間違っていない。富裕層が倹約をすればさらに財産は増える。出費を抑えられるのだから、金はあり余る。将軍の意向はそういうことではなく、吉宗は本当に倹約に励み、自身の着物はすべて木綿とし、大奥の大半の女性たちを解雇したり、いろいろと冗費を削って財政再建の一助とした。しかし、老中以下の高官たちは、たとえ自分の衣食住を少し倹約したところで、それを公費に回すわけではなく、安上がりになる分、蓄財が増える。どうも庶民はそういう所に思いが行ったようです。徂徠もこれを懸念している。
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