政談121
【荻生徂徠『政談』】121
(承前) 前述のごとく旅宿の境界にして自由勝手な城下の風俗に、制度がない状況をこね合わせた結果、とにかく金がなければならぬ世界となってしまった。今、大名ほど富裕で高い身分の者はなく、安楽に暮らしているが、家中の面倒を見、自国での政治があり、さらに公儀へのご奉公もあり、同格の者らとの付き合いや対応もあって、安楽なように見えて苦労も多い。身分が高いと身持ちも自由ならず、気の詰まることがいろいろある。そんな大名に勝る者といえば、しもた屋の町人である。商売人の部類に列するものの、商売をするでなく、金銀を所持するが、取立てが困難な者には金貸しをしない。多くの町家を所有し、その家賃で安楽に耽る。上に仕える者がないから恐い者もいない。公職に就くこともないから、気遣いもない。下に治める民もなく、家来もなく、武士の作法や義理といったこともなく、衣服から食事・住まいまで、その奢りようは大名に等しい。付き従う者や出入りする者たちは、みな機嫌を取る者ばかり。女郎買いなどの遊びもしたい放題で、誰一人これを咎めたり非難する人がない。その他の道楽も誰はばかることなく楽しむ。まことに、今の世で南面王の楽しみをする者といえばこの輩のことである。
[注解]●しもた屋 原文「しもうた屋」。既出。正業に就かず、高利貸や家賃収入で暮らす町人。今のマンション・アパートオーナーといったところ。 ●南面王の楽しみ 『荘子』にある話で、王は北に位置して南に向いて座ることから、「王者は南面す」といい、単に南面といえば王者を指す。平城京や平安京のように、内裏が北にあって、南に都の街が形成されたのもこの中国の思想に基づいている。ちなみに、「荘子」は孔子の高弟の曽子(そうし)と発音が同じでまぎらわしいことから、古くから「そうじ」と読みわけている。
この段は重要で、大名つまり殿様はいいご身分かといえば幕府に仕え、その幕府からにらまれないよう常に言動に注意し、公務に手抜かりがないようにすると同時に、自国での政治も失敗は許されず、百姓一揆でも起きようものなら、最悪の場合はそれが口実となって藩が改易となることもあったので、上にも下にも気を使った。さらに他の大名とのつきあいもあり、無礼講で飲み食いしよう、貴殿とそれがしは寿司友だ、といったわけにはいかない。招く場合も、招かれる場合も作法やしきたりがあり、まさに四六時中公人として気の詰まる毎日だった。このため、精神的におかしくなる者も少なくなく、ひどい場合には「乱心」して、強制的に家督を嫡男や養子に継がせたりした。
これに対して、正業をもたず、賃貸のあがりで暮らす者は商人(狭義の主人で、殿様と同じ。店員の監督、同業者との付き合い、なにかにつけて所轄の奉行所へ出頭し、そして商売上の信用を落とさないようあらゆることに気を使った)と違って気にするものはなく、収入はそっくり道楽に使えた。汗水流して働くことも、人付き合いで胃が痛くなる思いをすることもなく、好きなことばかりして、いやなことは避け、世の中がどれほど悪くなっても我関せず。このような存在を徂徠は厳しく批判します。
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