政談119

【荻生徂徠『政談』】119

(承前) 鼻紙袋というものは昔は無かった。小寺勾当(こでらこうとう)という座頭が考え出したもので、小寺袋といって世間にはやったのが、いつの間にか武家までが常に懐中しなければならないものとなった。今は殊の外はやっている。昔は大名は前巾着を下げ、それに印を入れていたから、鼻紙袋は不要だった。家康公も前巾着を下げておられたと伺っている。何もかもみなこのような有様である。


[注解]●鼻紙袋 鼻紙・薬・金銭などを入れて懐中に持ち歩く袋。元禄の次の宝永年間頃から流行り出した。 ●勾当 盲人の官職の一つ。最高位の検校(けんぎょう)に次ぐ身分。この下が座頭。江戸時代は体の不自由な人に対する保護政策に力を入れており、特に盲人は公職に就ける道もあり、自活できる便宜もいろいろあった。盲人の持ち物を奪ったり傷つけたりしても、健常者に対する罪より重くした。10両盗めば死罪という定めだったが、盲人の持ち物の場合は、それ以下の金品を奪っても罪一等を重くして死罪になるほどだった。老人や女性、子どもに対しても同じ。なお、原文どおりに現代語訳をしたが、「勾当という座頭」というのは正しくない。徂徠は官職を持つ盲人の総称として座頭と言ったのだろう。 ●前巾着 前腰に下げる巾着。前提げ(まえさげ)とも。


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