政談118

【荻生徂徠『政談』】118

(承前) 五、六十年以前も確たる制度はなかったけれども、物事はすらすらと運んでいた。だから、物事を難しく考える風潮もなく、草履や木片のような軽いものとして扱われ、それですべてがうまくいった。その時分にも奢る者はいたが、同時にとても質素な人もあり、周囲を気にする風俗ではなかったから、無駄遣いをすることもなく、困窮することもなかった。朽木土佐守が言うには、土佐守の父伊予守が八歳の時、おそらく家光公の御代であったろう、隣家で能が催されることになり、見物に呼ばれたことがあった。しかし、裏付け上下(かみしも)を持っていなかったために見物には行かれなかったとのこと。三万石余の大名の総領が八歳になっても裏付け上下を持っていないのは、草履片々、木屑片々な風俗の世だったからである。今はわが子らでも裏付けの上下は持っている。昔は裏付け着用の所でも麻上下を着てもよかった。今は格式ばって、いかなる者でも上下、小袖、帷子(かたびら)など数品揃えて所持していなければならぬ時世である。

 こうなると一見、制度のように見えるが、真の制度ではない。世間の風俗から自然と新たな事が始まり、それを見よう見まねに誰もがするようになったことから、風俗がやがて格式・作法となったものである。たとえば、裏付け上下も、羽織も、袴も、みな平服である。しかるに羽織と袴は略式で、裏付け上下を着用すべき場というのが、今の世には存在する。昔は裏付け上下という決まりはなく、式服や平服といった区別がなかった証拠に、御謡初(おうたいぞめ)の時に肩衣を取るのは、昔は麻上下から直ちに袴姿になり、裏付けはなく、麻を袴に用いたからである。


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