政談116
【荻生徂徠『政談』】116
(承前) 綱吉公の御代に易の御講釈拝聞を仰せつけられ、私は初めて登城して御講釈の座に連なった時、あたりを細かく見回してみると、御老中、若老中も、大名、御旗本、有官無官のお歴々いずれも、我等の衣服となんら変わらなかった。これを見て、余りのことに涙がこぼれて呆然となったことである。とかく金さえあれば、卑しい民も大名のような姿をしても何のとがめもない。悲しいのは、金を持たず、姿がみすぼらしいと、おのずから人に比べて見劣りし、肩身の狭い思いをするのが世の常であるのに、それを見よう見まねで自分を立派にしよう、よく見せようとするため、世間はこぞって奢るようになり、これが続くと風俗となる。こういう世の中に生まれた人は、今の風俗を奢りとは思わず、これが当たり前と思ってしまう。
[注解]学問好きの5代綱吉は頻繁に漢籍の講義を開き、重職の幕臣や大名らに聞かせた。もちろん、これに参加できるのは名誉のことであり、徂徠は元禄9(1969)年9月26日に初めて参加を許された。その時の回想です。身分や階級によって衣服に違いを設けるべきというのが持論の徂徠にとって、将軍以外の高官貴顕から自分のような末席に連なる軽輩者まで同じような服装をするのは、特に下の者、豊かでない者が無理をして上等の衣服をまとって虚勢を張ること。分相応こそが無理のない姿であるとともに、上の者に対する畏敬の念も生まれる。しかし、老中(閣僚。首座は首相)から末席の事務官まで同じでは、逆に軽輩者のほうが勘違いをして外で威張るようになる。無駄と意識の乱れを徂徠は懸念し、憂えたのです。
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