政談115

【荻生徂徠『政談』】115

(承前) 衣服の制度がある場合は、これは大名、これは大役・高官の人ということが座敷においても識別できることから、人々は自然と上の人を敬い、儀式も乱れることがないが、上は一人(いちじん)より下は民までいずれも小袖や麻上下(あさがみしも)を同じように着るので、その生地は金さえ出せばどんな良いものでも着られるが、これをとがめる人はいない。なんとなれば、小袖や麻上下姿だと身分の見分けがつかないからで、大役・高官の人はことさらいかめしい態度をして、それによって見分けがつくが、そういう態度が君子としての礼儀を失うということが分かっていない。役人や奉行らの無礼な態度は特にひどく、そのため下の者たちは過剰にへりくだり、へつらう風潮が激しくなっている。これも衣服の制度が細かく定められていない影響が大きい。


[注解]●一人 天皇のこと。天皇という言葉は古くからあるものの、今のように日常的に使うことはなく、江戸時代においては一人のほか、住まいの内裏(だいり)や大内、ほかに主上などいろいろな呼び方がされている。もともと天皇という呼称は中国のもので、天皇、地皇、人皇の三皇がおり、このうち人皇が現人神(あらひとがみ)で、江戸時代も学者らによる文献などでは「人皇」としているものが多い。「天皇」は例によって明治になって強制的に扱われるようになった。 ●小袖 袖口を細く、袖下を丸く縫った絹の衣服。平安時代には貴族の下着だったのが、武家では表着として使われ、これが公家らにも逆影響して表着となった。身分によって色や模様に区別があったものの、更に袴をつけない着流しの綿入れの着物も小袖と呼ぶようになってから、天皇から百姓町人まで同じような格好になったため、一目では区別がつかないことも多くあった。 ●麻上下 上下は肩衣(かたぎぬ)と袴。武士の礼服。主従関係においては従者(家臣)が着用する。麻でできているのが麻上下。上下は「裃(かみしも)」という字も使われる。庶民ではみなし公務員の名主や家主(大店の主人)は奉行所、代官所などに出頭する機会が多いことなどから庶民としては特別に着用を許された。あくまで武家の装束のため、天皇や公家らは着用しない。

 時代劇を見ると、衣服や髪形、言葉遣い、態度で身分や地位がわかります。逆に現代は制服姿の人でないと、一見しただけではどういう人かが分からない。政治家でもネクタイを着用しない人がおり、そういうのはガラが悪く見えるし、実際、ガラが悪い人ほどそういう姿を好むようです。逮捕され護送される時にネクタイとベルトを外させた状態にしますが、そういう姿になりたい願望でもあるのか。

 徂徠の言わんとしているのもそういうことで、身分によって衣服に違いをつけ、それを規程すべきという点を見ればきわめて窮屈なものですが、小袖のように身分を越えて普及した、今のスーツのようなものだと、一見しただけではわからず、そのため特に高位高官の者ほど威張った態度をすることで自分を偉く見せ、庶民は庶民でおそれをなしたような素振りをする。このような乱れもまた天下が乱れている証拠であり、衣服の制度はきちんと定めて維持されなければならないと説いています。昔は今と違って、すべての人が結髪をしていた。僧侶は戒律から頭を丸め、医師は幕府の命により当初は僧形(そうぎょう)となることを命じられたため丸坊主。このため、僧侶は医師という触れ込みで堂々と遊郭に上がったものです。なにしろ見かけはほとんど同じでしたから。被差別階層の人たちはただ髪を縛るだけで、それを結う(形作る)ことは制限されたほか、衣服の色も決められていて、これだけはひと目でそれとわかるようにしていました。

上下(裃)姿


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